犯人の高笑いが聞こえる 長官狙撃「時効」とお粗末捜査

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テレビウォッチ>国松孝次警察庁長官が狙撃され重傷を負った事件から15年、今回の番組は、「時効まであと4時間半です」といって始まった。ついに犯人の足跡、物証はおろか、犯人像すら描けずに終わったのはなぜなのか。その検証である。

予断が支配

   狙撃事件は1995年3月30日、オウム真理教捜索のさなかに起こった。20日には地下鉄サリン事件、22日にはオウム捜査がスタート、その直後だった。警察のトップを狙撃するなど前代未聞。捜査を止めるための凶行か――だれもがオウムを疑った。が、これがつまずきのはじめだった。

   翌年の捜査資料を読み解くと、当初からオウムを想定したために、捜査の基本である初動がおろそかになっていた。まず、聞き込み、これをまったくやっていなかった。

   犯人と思われる男が自転車で逃走するのを目撃した男性は、警察に通報したものの、捜査員から特徴や逃走ルートを聞かれたのは5年後だった。また、事件前に不振な男を見た男性に、捜査員は、オウム教団の信者の写真ばかりを見せたという。「的をしぼってるなと思った」

   捜査を担当したのは公安部だった。本職の刑事部は地下鉄サリン事件で手一杯だったが、公安部は情報警察だ。異例の態勢を決めたのは当時の井上幸彦警視総監だった。トップダウン――これが刑事部との連携を混乱させた。

   公安部は、射撃ツアーに参加した信者9人を分析するなどしたが、結果は出ず。しかし当時は、「オウムを犯人と思わないヤツは出て行け」といった幹部もいたという。

   NHKの警視庁担当、松岡烈記者は事件当時現場を歩いた。が、警察が聞き込みに来ていないのを訝ったという。「われわれもオウムだと考えましたけど、警察も予断で動いていた」

「トップが張り切ると…」

   事件の急展開は翌96年5月だった。オウム信者の警視庁巡査長が、「撃ったのは自分だ」と供述したのだ。「無線機のイヤホンの声で『撃て』といわれて4発撃った。拳銃は水道橋から捨てた」と具体的だった。

   井上警視総監は、この情報を一部幹部だけにとどめ、捜査本部にも秘密にホテルなどで調べを進めた。が、ウラがとれなかった。自転車すらみつからない。半年後、「最高幹部が真相を隠蔽しようとしている」という告発文が報道機関に送られて、ことが明るみに出た。

   捜査本部は急遽、神田川の大掛かりな捜索を行ったが、拳銃はみつからず。井上総監は辞任に追い込まれ、元巡査長の立件も見送られた。しかし、2004年に元巡査長は再び逮捕された。今度は、麻原彰晃の側近幹部が実行犯だという話だった。が、やがてまた「自分がやった」と供述が戻ってしまい、不起訴になった。

   結局、警視庁は予断から抜けきれなかったことになる。その後も、オウムと元巡査長を軸にしたシナリオを追い続け、時効手続きでも「オウムの組織的犯行」としたままだ。

   松岡記者は、「縦社会の警察で、トップが張り切ると、下は異を唱えにくい、が、予断をもたないのが捜査の基本。これが教訓だ」と、なんとも当たり前の結論だった。時効だというのに?

   だいいち教訓になっているのかどうか。このところの警察の情報の囲い込みはひどい。捜査より情報漏れ防止だ。「踊る大捜査線」だったか。ああした人間臭い警察は、もうドラマでしか見られないようだ。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2010年3月29日放送)
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