井上ひさしさん流 若手編集者のかわいがり方(上)

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   作家の井上ひさしさんが亡くなった。享年75歳。井上さんとの懐かしい思い出が、私にもいっぱいある。

   大学時代、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(脚本を井上さんが書いていた)の大ファンだった私は、編集者になると早速連絡をして、渋谷の喫茶店でお会いした。

   親しみのある笑顔と、ユーモアのある話し方で、新米編集者を暖かく迎えてくれた。それからは、お酒を呑めない井上さんと、三番町にあったホテルの喫茶室などで、よく語り合った。

畏れ多い企画

   当時、『小説現代』で「モッキンポット」シリーズを書いていたが、戯曲ほど話題にならないと、少し愚痴っぽく話したのを聞いたことがある。ユーモア小説というのは、なかなか日本では受け入れられないともいっていた。

   「遅筆堂」として名高い井上さんだが、その頃も、交換手から「松本清張さんから電話です」とかかってきて、あわてて出てみると、「松本清張さんのように原稿の遅い井上です」と、明るい声が聞こえてきた。

   いま思うと畏れ多いことだが、『月刊現代』で、樋口一葉縁の花街・白山芸者遊びという企画をお願いしたことがあった。快く引き受けていただいて、2人して、一夕、白山の料亭に何人か芸者さんを呼んで、話を聞くことになった。

   井上さんは、ひたすら質問を続け、大学ノートに克明にメモを取っていて、料理に口もつけない。私は話などそっちのけで、ひたすら呑み続け、徳利を十数本並べて、初めての花街の雰囲気を満喫していた。

   花街のルポだから、芸者さんとの床入りまでお願いしますと伝えてあった。料亭の女将に、その旨を伝え、承諾を得ていたのだが、12時近くになって、井上さんは、あわてて、帰るといいだした。これからのことは元木さんが「体験」して、僕に話してくださいといいおいて、靴を履くと逃げるように外へ飛び出していってしまった。

直木賞受賞の夜

   仕方なく、本当に仕方なくではあるが、編集者の務めとして、身を挺して、芸者さんと一夜を過ごした。

   その原稿は、井上さんをホテルに缶詰にして、締めきりギリギリに仕上げてもらった。だが、それ以降、いろいろな編集者から、「君か、井上さんを無理矢理帰して、芸者2人を独り占めした編集者は」といわれることになる。井上さんが、そのように話を作り替えて、面白おかしく話すものだから、すっかり、作家を大事にしない好色編集者という噂が、業界に広まって往生したこともあったが、こんな若造を、井上さんは可愛がってくれた。

   「手鎖心中」で直木賞候補になった。井上さんから感想を聞かれた私は、生意気にも、ユーモア小説が直木賞を取るのは難しいのではないか、次回作で勝負しましょうなどと、いってしまったのだ。

   発表の夜、新宿ゴールデン街の「ばあ まえだ」という店で呑んでいると、電話があり、名物ママが「元木電話だよ」と受話器をよこした。出てみると、「井上です。取りました」という弾んだ声が耳に飛び込んできた。一瞬、言葉を失い、少しして「おめでとうございます」と、返した。店中が「おめでとう」の大合唱になった。直木賞や芥川賞がお祭り騒ぎになる前の話である。

   個人情報保護法案反対の集会にも、忙しい中、駆けつけてくれて、反対の弁を、わかりやすい言葉で、しかも力強く話してくれた。憲法を守ろうという「九条の会」の活動にも積極的だった。大事な人を失ってしまった。

へ続く)

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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