【取材秘話】戦時中の受難 戦死者、高射砲、イモ畑

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取材秘話・フラッシュバック(8)


    今日15日は65回の終戦記念日だ。第2試合開始前、サイレンを合図に甲子園球場では今年も戦没者への黙祷が捧げられた。戦争のため多くの先輩球児たちが戦火に散っている。かつて東大の首位打者になった梶原英夫さん(高松中)、阪神の強打者影浦将さん(松山商)、球史に残る延長25回を投げ抜いた中田武男さん(明石中)、それに不出世の大投手沢村栄治さん(京都商)、巨人の名捕手吉原正喜さん(熊本工)ら、戦前の甲子園を沸かした名選手たちの名前が次々に浮かぶ。1936年(昭和11年)の第22回大会で優勝した岐阜商のレギュラ-のうち5人が戦争の犠牲に遭ったのも悲しい。

    戦時中の甲子園球場はスタンドが高射砲陣地になり、グラウンドはイモ畑だった。戦後の復活大会も進駐軍に接収されていて、隣の西宮球場を使った。

    いま、アルプススタンドではブラスバンドが響き、女子生徒のポンポンが揺れて、底抜けに明るい声援が飛び交う。戦争を知らない世代が多くなり、暗黒時代の昔は、今や風化してしまったようだ。

     いつだったか、甲子園大会を取材していたとき沖縄代表の監督さんにこんな話を聞いた。

    「私は戦時中、米軍の艦砲射撃に遭って、昼夜山の中を逃げまどいました。弾除けに連れていた牛が弾に当たって死んでね、妹も死にましたよ」。スタンドで飛び跳ねる裸の男や指笛を、「いいですな」と言った。

    私も原子爆弾が落ちたとき、広島市の郊外にいて「黒い雨」を浴びた経験がある。のちになって30万人が死んだと聞かされた。戦争は時と場所をかまわず、容赦なく人の命を奪ってしまう。

    この日も熱戦が繰り広げられた。大鉄傘に大声援が轟いた。この響きは平和の賛歌を歌う大合唱に聞こえる。いつまでも大切にしたい。

岡田 忠


岡田 忠(おかだ・ちゅう)プロフィール
スポーツジャーナリスト。1936年広島県生まれ。立命館大学卒。朝日新聞社東京本社編集委員を96年に退職して現職。高校・大学では野球部に所属し投手をつとめる。高校野球のテレビ解説経験も豊富。

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