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【取材秘話】1回戦敗退校が全国制覇した謎

取材秘話・フラッシュバック(11)


    夏の選手権大会にかつて「敗者復活戦」の制度があったことはほとんど知られていない。それは今から94年前の1916年(大正5年)、中等学校野球時代の第2回大会に採用された。この年は代表12校で行われ、1回戦で敗れた中から鳥取中(山陰代表)と中学明善(九州)がその恩恵を受けた。両校は2回戦で対戦して鳥取中が勝ったのだが、準決勝で市岡中(大阪)に惜敗した。

    騒ぎとなったのは翌年の第3回大会。このときは4校が敗者復活戦にまわり、明星商(大阪)が長崎中(九州)に、愛知一中(東海)が和歌山中(紀和)にそれぞれ勝った。愛知一中は、1回戦で長野師範に3-4で敗れていたが、この復活戦をきっかけに、あれよあれよという間に勝ち進んだ。2回戦で明星商に2-1、準決勝の杵築中に3-2。決勝では関西学院に1-0で勝ち、なんと優勝してしまったのである。

    実はこの決勝にはドラマが絡んでいた。8月19日の決勝は関西学院が6回表、先制の1点を挙げたのだが、その裏に雨が強くなりノーゲームとなった。それも愛知一中は2死となっており、あとワンアウトというところで助かった。もし先攻だったら負けていたところだった。「均等回」のルールにより、6イニングめが無効となったことで救われた。

ミラクルともいえる強運

    翌日の再試合は大接戦となり9回を終わって両校無得点。延長に入り、今度は先攻の愛知一中が14回表に1点をとり、これが決勝点となった。関西学院は不運、気の毒というよりも愛知一中の強運に驚くばかりで、これほどのミラクルはまずない。愛知一中はすべての試合が1点差というスリリングなものだった。今大会で1回戦敗退の学校にとってはうらやましい話だろう。

    この優勝に当然のごとく文句が出た。「初戦に負けて本来なら帰郷している学校が優勝するというのは理に合わない」。これに反論できる材料はなく、敗者復活戦の制度は、初戦敗退校の優勝という珍事をもって廃止となった。余談になるが、終戦記念日の15日夜、NHKが放映した戦争ドラマ「15歳の志願兵」は、この愛知一中の実話がモデルだった。愛知一中の名前が突然復活した――。

菅谷 齊


菅谷 齊(すがや・ひとし)プロフィール
1943年、東京生まれ。法政大学卒。法政二高硬式野球部時代に甲子園で夏春連覇(1960,61年)を経験。共同通信社ではプロ、アマ野球、大リーグを主に担当。84年のロサンゼルス五輪特派員。プロ野球記者クラブ、野球殿堂入り選考の代表幹事を務める。野球技術書など著書多数。現在、日本記者クラブ会員(会報委員会委員)。