【取材秘話】中学校の床下で発見された大優勝旗

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取材秘話・フラッシュバック(12)


    甲子園でプレーする選手たちの究極の目的は、真夏の選手権を象徴する「深紅の大優勝旗」を手にし、地元に持っていくことである。それが全国制覇、日本一の証…。連日の激しく厳しい練習はそのために行う。

    たった一つの学校にしか与えられない優勝旗は、現在は大会中、貴賓室に置いてある。決勝の日まで若人の戦いぶりを見つめている。

    高校野球の歴史に残る決勝での18回引き分け、再試合を演じた三沢-松山商(1969年、第51回大会)の頃のことである。ふと「優勝旗はどこにあるのかな」と思いついた。そこで甲子園球場で事務所に尋ねると、女性職員が案内してくれた。「ここの中です」と教えられたのは狭い物置だった。引き戸を開けると、すぐそこに立てかけられてあった。歴代の優勝校のリボンがたくさん垂れ下がった、まぎれもない優勝旗だった。当時は、狭い物置でひっそりと最終日を待っていたのである。

優勝旗が消えた!

    優勝旗の歴史には驚く事件があった。初代優勝旗が消えてしまった出来事である。それは1954年(昭和29年)の第36回大会の後だった。この大会で優勝した中京商(現中京大中京)が優勝旗を名古屋の母校に持ち帰ってからしばらく経った11月末のこと、校長室から消えていたのである。旗ザオから旗だけ持ち去られ、代わりの旗がつけてあったという。警察に届けるやら、占い師に頼ったり、と大騒ぎになった。

    翌年2月、中京商から数百メートル離れた中学校の床下から発見された。たまたま学校の廊下を修理していた職人が見つけたのだった。高野連はあきらめて「新調しようか」と善後策を話し合っていたそうである。優勝旗は次の大会まで保管する形になっているところから、以後、学校によっては優勝旗を銀行などに預けた。それから5年後、第40回大会を記念して二代目が新調された。

    ちなみに夏は「深紅の大優勝旗」と形容され、春の選抜大会は「紫紺の優勝旗」と呼ぶ。旗の色にちなんだものである。

菅谷 齊


菅谷 齊(すがや・ひとし)プロフィール
1943年、東京生まれ。法政大学卒。法政二高硬式野球部時代に甲子園で夏春連覇(1960,61年)を経験。共同通信社ではプロ、アマ野球、大リーグを主に担当。84年のロサンゼルス五輪特派員。プロ野球記者クラブ、野球殿堂入り選考の代表幹事を務める。野球技術書など著書多数。現在、日本記者クラブ会員(会報委員会委員)。

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