2024年 4月 20日 (土)

「梨元勝さんはマイク持った目明かしだった」(ジャーナリスト・鳥越俊太郎)

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   「恐縮です」の元祖「突撃芸能レポーター」、梨元勝がおととい(21日)亡くなった。肺がんを公表したのが6月で、今月初めには自宅からの映像コメントも出していたのだが、あっけなく逝った。まだ65歳だった。

   自宅での映像は病院から一時帰宅した8月5日に撮影され、抗がん剤の影響で頭髪はなかったが、見たところは元気そのもの。「恐縮です」のキャッチフレーズから入るのだが、咳き込んだりしながら、「自宅に戻りました。これから3回目の抗がん剤の準備です」という短いコメントを何度も撮り直していた。

最後までツイッターでレポート

   「スパモニ」では93年4月のスタートからレギュラーだった。その真骨頂は取材現場での容赦のない問いかけ。相手が嫌がることでも平気で聞く。そのくせ「本当にすみません」「恐縮ですが」を連発して、憎まれない人柄だった。

   秋吉久美子、武田鉄矢、黒沢久雄・林寛子、加賀まりこ、池田満寿夫・佐藤陽子、森繁久彌、藤山寛美、勝新太郎、林家三平、「一杯のかけそば」の栗良平、ダイアナ妃からマドンナまで、いろいろな場面が出てくる。

   千昌夫が「本当に殺してやりたいと思いましたよ。でも彼の人柄でね、直接電話して来たり、ホットラインができて、あの人に追われてないと、芸能人でないような気がしてきました」と偲んだ。

   講談社の雑誌記者出身だが、自らも「書くのはだめだから、ライターじゃなくてスピーカー」といい、「突撃レポーターと呼ばれることに誇りを感ずる」と言っていた。しかし、76年に最初にテレビに出た時は、自分でも「芸能レポーター? 何をやるんですか」と言っていたのだそうだ。

   ピーク時はテレビや雑誌の連載などレギュラー30本。過労や太り過ぎで何度も入院しているが、そのたびに前にも増して活動的になった。05年には「スパモニ」を離れ、その際、赤江珠緒キャスターから花束が贈られた。その後も、現場にこだわり続け、今回も病床から最後までツイッターで発信を続けていた。

   8月17日の最後のメッセージにはこうあった「こんばんは。なかなか寝付けません。しばらくテレビを見ます。一人でトイレに行けないのが辛いです。いつも応援メールを本当にありがとう! 励まされます。頑張りまーす」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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