2024年 4月 20日 (土)

アフリカ・南スーダン独立―石油利権からみ米中駆け引き

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   南北に分かれ続いた内戦を経て南部スーダンが9日(2011年7)分離・独立した。国名も「南スーダン共和国」と決まり、国歌もできた。だが、北部との内戦の火ダネは今もくすぶり続けたままで、さらに国内では新たな部族間の対立が表面化し衝突も起きている。

投票で「独立」他の国・地域にも波及

   アラブ系イスラム教徒中心の北部とアフリカ系キスト教徒中心の南部に分かれ、民族的、宗教的対立から衝突を繰り返してきたスーダンでは、1983年に北部中央政府が南部へイスラム法を強制したことから内戦が勃発。包括和平合意が結ばれる05年まで続き、200万人以上の犠牲者に加え、多くの人が国を追われた。

   今年1月に南部の分離・独立の是非を問う住民投票が行われ、99%が独立を支持して南部スーダンの独立が決まった。ただ、独立といっても、きちんとした政府組織があるわけでもなさそう。北部と和平合意をした武装組織(SPLA)が政府の代わりをしているのだという。

   人口800万人。電気、水道といったインフラはほとんど整備されておらず、日本の2倍近くある国土で舗装された道路は60キロだけだ。

   それでも国づくりへ向けた国民の士気が高まっているのは、今回の独立が住民自らの意思で決めたという心意気だ。民族間、部族間で対立し紛争を抱えるアフリカでは、住民の意思で独立を決めたのは象徴的な出来事で、その国づくりは今後、他の国や地域に大きな影響を与えると見られている。

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