立川談志死ぬまで軒昂「誤診だった。初期の子宮がんだってんです」

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   毒舌と型破りの芸風で古典落語に風穴を開けた立川談志が21日(2011年11月)に亡くなった。75歳だった。 「葬儀はしないでくれ」「お経も要らない」「骨は海にまいてくれ」と言っていたそうだ。戒名も自分で作って、「立川雲黒斎家元勝手居士」だと。

   昨年8月の高座ではこう言っていた。

「誤診だった。初期の子宮がんだってんです」

今年3月が最後の高座

   1997年に食道がんを発表したのが闘病の始まりだったが、このときもたばこを吸いながらだった。その後再発、手術を繰り返し、08年には喉頭がんになる。昨年4月の会見では「もうダメですな。立ってジョークくらいはいえるが、落語がしゃべれるような状態に身体がなれば別ですけれど」。今年3月が最後の高座となった。

古典落語の継承

   最後の様子について、長男の松岡慎太郎さん(45) は「飲めない、食べられない、しゃべれないで、かなり苦しかったと思う。そのわりには『つらい』とは一切いわず、強く生きた。最後は家族みんな間に合って穏やかに」という。長女の松岡弓子さん(48)は「落語家としてはかっこいいですけど、最後の8か月の印象が強いので、本当に優しいお父さんでした」

   1952年に16歳で5代目柳家小さんに入門。27歳で真打ち、5代目立川談志を 襲名した。「笑点」の初代の司会者など、テレビ、ラジオ、映画など幅広く活躍。71年の参院選に当選して「さあこれから男のスタートって気がした」。75年には沖縄開発庁政務次官になったが、会見に酔っぱらって現れたりして、36日目に辞任に追い込まれた。落語の方でも、83年に小さんと対立して落語協会を脱退、「落語立川流」を設立して家元になった。

「誰かにうつしてやりてえ」「女房に申しわけない」

   「がんで助かってきたよ。いじめられると、オレ、がんなんだって…」「誰かにうつしてやりてぇ」とか、「寝て『羊が1匹』が怖い。女房に申しわけない。 入院は嫌だ」などと苦しい言葉も書き残している。

   司会のみのもんた「古典落語をだれが継承するのか」

   北川正恭(早大大学院教授)「小さん師匠に逆らってね、大変なエネルギーだと思う」

   小松成美(ノンフィクション作家)「80年代に寄席に通って、私、聞いてるんですよね。本当に素晴らしかった」

   みの「残念ですね。プライベートではものすごい照れ屋でした」

   嫌いだという人も多かった独特の芸風。もう聞けないとなると、やはり寂しい。

文   ヤンヤン | 似顔絵 池田マコト
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