2024年 4月 20日 (土)

死去記事の見出しも戒名も自分で決めて逝った立川談志

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   風雲児といわれた落語の名人、立川談志師匠が亡くなった。落語家としては無念であったろう喉頭がん。去るにはまだ早い75歳だった。「とくダネ!」に弟子の立川談笑が涙目で出演し師匠を偲んだ。

上から読んでも下から読んでも「だんしがしんだ」

「オレが死んだら見出しはこれだな」

   生前から本人が語っていたのが、上下どちらから読んでも同じ「談志が死んだ」。その通り24日(2011年11月)のスポーツ各紙が見出しにした。

   よく病気をした。61歳で食道がんの手術、63歳で糖尿病、67歳で食道がん再発、72歳で喉頭がん、74歳の昨年11月に喉頭がん再発で、医師から「余命2、3か月」と宣告され、半年でも延命を望むならと声帯摘出をすすめられた。

   この時は家族が本人のプライドが許さないだろうから声帯だけは残してほしいと懇願しそのままにした。しかし今年3月半ば、医師から呼吸困難になるからと、喋れなくなる気管切開手術を行った。

   談笑によると、「頭はしっかりしていて、弟子が行くと声を出したいのに出せないストレス、フラストレーションが気分を落ち込ませる原因になっていたようだ」という。気管切開した直後の3月21日には、ストレス性胃潰瘍で再び入院している。

最後の講座でがんをネタにこんな小咄

   その師匠の最後の高座となったのは気管切開する直前の3月6日。自分の病気をネタにこんな小咄だった。

「聞こえる? 後ろの方? いゃ~、今回 医者のミスなんだよね。医者の言うのには、早期の子宮がんだって言いやがんの。ペニシリンで治るっていうからね…」

   その後の闘病生活はすさまじいものがあったという。ダンディーだった師匠の無様な姿を見せたくないとの家族の思いがあったようで、弟子たちも会えなかったらしい。弟子たちが最後の会ったのは今年8月。見舞いに行くと、筆談で弟子全員を一言で笑わせる言葉を書いて「どうだ!」だった。

   司会の小倉智昭「言葉はきついけど、ほんとに江戸っ子。優しかったですよね」

   「戒名はオレが作っているから」と遺言で言い残した。それが「立川雲黒斉家元勝手居士」。最後まで笑いを取るのを忘れない名人だった。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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