自分を褒めてあげるにはマラソンがイチバン―ある女性タレントの言い得て妙

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   ある女性タレントがこんなことをテレビで言っていた。

「大人になると褒められることが少ないけど、本当は誰だって褒められたいもの。そんな人にオススメなのがマラソン。走れるようになる自分を褒めないわけにはいかなくなるの」

   私は小学生の頃から高校卒業までこの季節が本当に憂欝だった。3学期の体育の授業といえばマラソンばかり。ひたすら走る。まだブルマー全盛時代で、太い足をさらして学校の周辺を走るのは屈辱以外の何ものでもなかったなぁ。そんな嫌な想い出しか残っていないのがマラソンなのだ。

美ジョガーはなんのために走っているのか

   いまでもやっぱりこの時期は憂欝。美ジョガーなる言葉が誕生し、猫も杓子も状態で皇居のまわりを走っている人たちを車窓越しに見ると、拒否反応が出てしまう。ブームに乗っているだけじゃないのというわけだ。休日ランナーともなると遠方から来ている人も多いようで、そうまでして皇居周辺を走りたいのかと思ってしまう。

   いくらウェアーを買いそろえて自分を奮い立たせても、走りだすキッカケを見つけることは、私にとって至難の技。しかも走っている時は苦しくて鬼のような形相になるのだから、カッコつけたりキレイを保とうとしてもたちまち化けの皮ははがれる。それだったら、高校時代のジャージを引っ張り出して首にタオル巻いて、近所をテコテコ走っているほうが逆に潔くてカッコイイとまで思ってしまう。オシャレマラソングッズをあれこれ買って、ようやくスタートラインに立ってるようじゃ、企業の戦略にはまっているだけと天の邪鬼の考えしか浮かんでこない。

苦手克服の快感と新しい自分発見

   でも、冒頭の女性タレントの言葉には一理ある。私も最近、自分を褒めてあげたい衝動に駆られた。赤点しかとったことがない科学と日本史の番組を担当することになった時だ。数字や記号が行列を作る化学式や、長ったらしい漢字が並んだ歴史上の人物の名前を見るだけでじんましんが出そうになった学生時代。入試には関係ないと途中から勉強することを捨てると、授業に出ていてもまったく異次元の世界の話をされているようで、ついていけなかった。ところが、いま取り組んでいるのは試験ではない。仕事だ。そうなるとイヤだから勉強しません、じんましんが出るから仕事しませんとは言えない。

   それでも、がまんして資料を繰り返し読みこんでいくと、次第に目がランランと輝きだし、頭がスッキリと冴えてくる。おじさんが歴史を好きなのはこういうことかと初めて納得でき、化学式などで世の中の現象が説明されると、知ったかぶりでつい人に話したくなる。苦手意識で避けていたら、決して知ることのなかった境地である。今まで食べることができなかった野菜が、本当はこんなにおいしいかったんだ! あの感動を100倍にした感じだろうか。

   けれど、これで調子づいてマラソンを始めたわけではない。恐らく強制されてマラソン番組でもやることにならない限り、走ることはないかもしれない。あ、これって結局、現金主義なだけか。ダメだなぁ。市民ランナーの皆様、呆れてください。

モジョっこ

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