2024年 4月 20日 (土)

福島原発ようやく上空撮影の惨状―建屋グシャグシャ、周辺村落そのまま

   福島第1原発の飛行禁止区域が25日(2012年2月)、これまでの20キロから3キロに縮小された。これを受けて共同通信のヘリがきのう26日(2012年2月)、周辺を飛んだ。3キロからでも原発の惨状が実によく見える。

灰色や青の汚染水貯蔵タンク1000基が並ぶ異様な光景

   4基並んでいる原発で、形がわかるのは先にカバーが取り付けられた1号機と2号機だけ。3号機は上部が丸裸、4号機も原子炉格納容器の頭の部分が見えていた。鉄骨はぐしゃぐしゃだ。建屋のまわりにはクレーンが林立し、収束作業が続いていることがわかる。原発西側の地区には、灰色や青の汚染水貯蔵タンクが約1000基が並ぶ。この11か月間に、国民の目に触れないままに作られていたものだ。作業量としては、団地をいくつか作るくらいの大工事である。

   原発の北側数キロの集落は津波で襲われたまま。家はさらわれ、町並みは消え、あちこちに船が打ち上げられている。それがさらに雪に覆われていた。むろん人影はない。他の被災地では復興が進んでいるが、ここは「あのとき」のままだ。折りに触れ、断片的には伝えられた光景だが、間近に上空から見ると、たしかに凄まじい。

飛行禁止に唯々諾々で伝えてこなかったマスメディアの責任

   これが見られなかったのは飛行禁止のためだ。事故後当初30キロだったものが5月に20キロになりそのままだった。この間、メディアは羊のようにおとなしく規制を守った。しかしこの光景はどれも事故直後にこそ見たい、また見せなければならないものではなかったか。見せなかったのは誰の判断なのか。メディアもまた「飛ばせろ」とはいわなかった。

   司会の小倉智昭はきのう石巻と女川町に行ったという。「がれきの片付けは進んで、ただ集積所にあるんですが、そこから先が全く進んでない。原発周辺は避難区域だから立ち入りもできない。がれきもそのままなんですよね」

   夏野剛(NTTドコモ元執行役員)「1年近くも経って何も進んでないというのはショックですよね」

   田中雅子(経営コンサルタント)「こんなになっちゃったのかと想像はしてたが、現実を突きつけられた感じ」

   これだから見せないといけなかったのだ。地上をバスで走って断片的な映像を見たってわかるものか。飛行禁止をかけた方も問題だが、それに文句をいわなかったメディアはもっと罪が深い。また、それに気がついているのかどうか。その方も心配だ。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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