キムタクもう後がない?トヨタの面子つぶしたスピード違反2連発
「また来ん春と人は云ふ しかし私は辛いのだ 春が来たって何になろ あの子が帰って来るぢゃない」
子どもを亡くした中原中也の詩である。「週刊文春」の連載「私の読書日記」(池澤夏樹)の中で見つけた。池澤は「震災の日からこちら、詩を読むことが多くなったような気がする。評論は賢そうに無意味なことを言っているばかりで、小説は間遠い。だからこそ詩であるらしい」と書いている。週刊誌も「3・11」から1年でさまざまな特集を組んだが、この短い詩を超えるものは見当たらなかった。
週刊誌よ、大震災からわずか1年でこの健忘症候群か!
「絆」「頑張ろう」「日本を信じよう」という言葉が虚しく行き交い、その言葉さえ忘れ去られようとしている。あの大災害からわずか1年しか経たないというのに。瓦礫処理は住民エゴで受け入れ先が決まらず、原発事故から数か月は放射能の危機をヒステリックに叫んだ週刊誌は声をひそめ、放射能なんてたいしたことないと主張する週刊誌の論調のほうが勢いを増しているように感じる。
そこには、いま現に苦しみ悩んでいる被災者に寄り添うという、週刊誌のあるべき立ち位置を見失っているように思える。永田町の政治屋どもと同じように、カネは出してやるからもうクヨクヨせず、あのことはスッパリ忘れろという健忘症候群とでもいいたくなるような病に冒されているのではないのか。
「週刊現代」に「100歳までボケない方法教えます」という特集がある。書いてあることは他愛もないことばかりだが、最後に「早期認知症の自己診断法」というのがあって、10項目のうち4項目に該当すると軽度の認知症の可能性大だという。試しにやってみたら、10項目全部が該当した。高齢者で半分ボケが進行しているからではあろうが、いまの政治家やジャーナリストにもやらせたら半分以上は当てはまるに違いない。
ちなみにこういう項目がある。1日や1週間の計画が自分で立てられない。反応が遅く、動作がもたもたしている。同じことを繰り返し話したり、尋ねたりする。根気がまったく続かない。発想が乏しく画一的。仕事をテキパキと片付けられない。いかがだろう。政治家にはこのすべてが当てはまるに違いない。