寛仁さま「ボクは天皇家の応援団長」型破りな言動で親しみと物議

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   天皇陛下のいとこに当たる三笠宮寛仁(ともひと)さまが6日(2012年6月)午後、多臓器不全で亡くなられた。66歳だった。ヒゲの殿下の愛称で親しまれ、皇族の中では型破りの人生を歩んでこられた寛仁さまだったが、「とくダネ!」にも親交のあった人が登場して人柄を振り返った。

「皇室はストレスの塊である」

   寛仁さまが1975年にニッポン放送の「オールナイトニッポン」にDJとして出演した時、リスナーからこんなハガキが届いた。「殿下が皇室の人間でなかったら何になりたかったですか」。これに次のように答えた。「強いて、仮定の上でいうなら、とにもかくにも親分になりたい男だから、もしも普通の人間だったら、絶対に政治家とか経済界の親分みたいになりたかった」

皇族の中にあって…

   ざっくばらんな口調で正直に話す人柄は、時に物議を醸すこともあった。「皇室はストレスの塊である」もその一つだったが、皇室を人一倍愛していたことも事実だったようだ。30年来にわたり親交があったという元フジテレビアナウンサーの露木茂がこんな話を披露した。

「あるパーティーの席上、『アポなしで出て下さい』とお願いを申しあげたところ、『皇室のためになるなら出てもいい。ボクは天皇家の応援団長だから』とおっしゃったのがすごく印象に残っています」

「病に立ち向かう一人の男性として本当にお見事」(中村メイコ)

   やはり親交のあった女優の中村メイコは、「皇室と民間との架け橋をある時期、作られた方だった。病に立ち向かう一人の男性として本当にお見事で、めげずにいつも明るく元気に振る舞われておられた」という。

   キャスターの小倉智昭が、「皇族の中では本当に型破りな存在だったんですね」

   公式行事以外はほとんど姿が見えない皇族の中にあって、型破りとはいえ、国民との架け橋に力を尽くし、身近にいたヒゲの殿下。遺志をついで雲の上から次に降りてこられる方は…。

文   モンブラン | 似顔絵 池田マコト
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