元盟友・亀井静香も愛想尽きた「石原の身勝手」新党結成!?お前ひとりで死ね

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「辞職表明前夜に石原から連絡があって、『明日午後3時から記者会見する。都知事を辞めて、新党を作る』って言う。俺は『そりゃあ、トゥー・レイトだぞ』って言った。翌日会ったら、『一緒にやろう、一緒にやろう』って言うばかり。『いまさらそんなことを言われても、ハイハイと言うわけにはいかねえよ』
(中略)今年6月、橋下(徹大阪市長)は石原に維新の会を丸投げしようとして『維新の会は全部差し上げます』と言ったんだよ。だから石原は舞い上がっちゃった。それで6月13日、石原に呼ばれて都道府県会館の東京都事務所へ行ったら、『新党を結成する。日本維新の会だ。都庁の会見でぶちあげる』と政党名まで自分で言うんだよ。なのに翌日、園田(博之『たちあがれ日本』幹事長)を通じて連絡があってさ、『23日に維新政治塾の入塾式で講演を頼まれているから、会見で言うのは先延ばしにする』って言うんだよ。コイツ始まったなと思った。すぐ石原に電話して、『昨日やると決めたことを、翌日にひっくり返すのはどういうことだ。去年から、あんたが『この日本を命懸けでやり直す』と言うから、俺も一緒に命を捨ててやろうと思っていたのに。だったらお前ひとりで死ね!』と言って電話を切った」

   こう「週刊朝日」誌上で話すのは、石原慎太郎の元盟友・亀井静香議員だ。

橋下徹「ジジイ殺し」コロッといかれた暴走老人

   石原慎太郎「80歳の決断」がさまざまな波紋を呼んでいる。当面「たちあがれ日本」と組んでいくらしいが、一番の焦点は橋下徹大阪市長の「日本維新の会」と組むのかどうかにある。各誌の見方もそれぞれ分かれていて、まだまだ先行き不透明だ。まず各誌のタイトルを見ていこう。

   親・橋下と見られる「週刊現代」は「橋下徹は石原と組まない」とバッサリ。朝日も「石原慎太郎ひとりぼっちの決断」とし「橋下維新とは調整不足」と見る。「週刊新潮」は「『石原新党』は太陽の季節か」として、「『石原総理』なら譲らない『反米』『反中』『核武装』」と続け、彼が総理になればこの国は「普通の国」ではなく「別の国」になってしまうと書く。橋下との連携は、平沼赳夫と橋下の考えが違いすぎるから無理ではないかと見る。

   「週刊文春」は「石原慎太郎が橋下徹に握られた急所」で、石原が一番可愛がっている落選中の三男・宏高を「維新東京代表」にしてもらいたいがために、尖閣、原発で大幅譲歩すると読み、連携ありと見る。「週刊ポスト」は「石原慎太郎80歳の『国政への特攻』の大博打」で、今度の選挙に橋下は出ないと読み、橋下のかわりに国政改革の先頭に立って一期やり、橋下に譲るというシナリオと見ているようである。

   私見では、あの歳で国政に出ることを決意した石原に、まったくの勝算がないはずはないと読む。最終的には平沼「たち日」グループとギクシャクしても、橋下「日本維新の会」と何らかの妥協をして手を結ぶのではないか。国民の中には、どうせあの歳だから一期でおしまいだろうし、金への執着はなさそうだからやらせてやってもいいのではという空気があるのではないか。

   石原慎太郎人気というのはバカにできないものがある。どういう候補を立てるかにもよるが、橋下と組んで全国を回れば、かなりのブームを起こす可能性はあると思う。

   だが、もし総理にでもなったら、老いの一徹、新潮のいうように「別の国」に変えてしまう決断をするかもしれない。注意して彼の動向を見ていく必要がある。

コイツだけはやめてくれ!東国原東京都知事

   さて、石原都知事が去った後、誰が次の都知事になるのかが注目されている。石原が後継に指名した猪瀬直樹副知事は、彼の人間性もあるのだろう、一般的な人気がない。そこでわれこそはと名乗りを上げると思われているのは、民主党の蓮舫議員、自民党では小池百合子議員、舛添要一議員、変わったところでは文筆家で白洲次郎の孫の白洲信哉(46)の名前や、菅直人元総理まで挙がっている。

   だが、そうした中で大本命と目されているのが、あの東国原英夫前宮崎県知事だそうだ。たしかに、前回の都知事選では政党の支持もなく169万票を集めたのだから、可能性はあると思うが、新潮が「ついに『東国原』当確で我らの生き恥」と、私のような東京都民の胸の内を代弁してくれている。

「よく考えて欲しい。いくら東国原氏が茶の間の人気者で、宮崎県の『セールスマン』として活躍したとはいえ、彼が1300万の民を抱える首都の顔になるなんて、想像するだけで戦慄を覚えるではないか。なにしろ彼はこれまで、後輩芸人に暴行を加えて書類送検され、16歳の少女との猥褻行為で警視庁の事情聴取を受けるなど、数々の不祥事を起こし、女性関係も『奔放』の極み。本誌(2008年5月1・8日号)でも、宮崎県知事時代に20代の女性を弄び、挙句、150万円の手切れ金を支払った彼の行状を報じている。世間ではこういう男を『不届き者』と呼ぶ」

   さらにこう結ぶ。「西の宮崎県から東の東京都への『国替え』を企図している東国原氏。名前に反して『東の国』とは縁が浅いままであってくれることを祈るばかりである」

   まさにその通りである。新潮はん、ええこといいなはる。

島田紳助のバイクレース仲間が告白「自分は三億円事件の犯人だ」

   文春が「三億円事件」の白バイ実行犯が島田紳助の友人だった可能性があると報じている。全国紙社会部記者がこう語っている。「昨年八月、タレントの島田紳助が暴力団との交際を理由に芸能界からの引退を表明しましたが、その後の取材過程で意外な話を耳にしました。紳助と接点のある人物のなかに、あの三億円事件への関与を疑われた人物がいたというのです。かつて紳助は、鈴鹿八時間耐久ロードレースという日本最大級のオートバイレースに『チーム・シンスケ』を率いて参戦していたのですが、その中心ライダーだったAという人物です。一時は大阪府警も確認に動いたと言われています」

   漫才ブームの時に紳助と親しくなり、心を許しあう中になったそうだ。Aには不可解な過去があり、自分から三億円事件の犯人だと語ったそうだが、その内容には信憑性があるというのである。昔からモンタージュ写真に似ているといわれ、警察は別れた妻やレース関係者に事情聴取に行ったと、Aが取材で話している。当然ながら、自分はやってないと全否定しているが、文春は追及の手を緩めない。

「疑惑の『発火点』を求めて、取材を進めた。この病室(紳助が生死の境をさ迷う病気になった=筆者注)で起きたことを、当時を知る関係者がこう証言する。
『実はAが紳助に事件のことを打ち明けたのは一度だけではない。Aは病室で苦しむ紳助に、再び三億円事件の話をしているのです。自分の過去を告白し、「それでも俺は生きているんや。お前も生きてくれ」と涙を流して語ったそうです』
   心から信頼し、遺書まで預けた男が生死の淵をさまよっているときに、果たして嘘をつくことがあるのか」

   内容的に犯人と決めつけるにはまだ弱いが、この手の話は面白い。事件からもうすぐ44年になるが、まだまだ「あいつが三億円の犯人だ」という情報は出てくるに違いない。

角田美代子の実弟「グリコ森永事件・キツネ目の男」?兵庫県警も聴取

   尼崎の連続殺人事件はまだ全容解明には至らないが、文春と新潮が、希代の鬼女・角田美代子(64)には5歳下の実弟がおり、彼も「修羅の道」を歩んだと書いている。弟は角田ではなく、父方の姓を名乗る月岡靖憲(59)。執拗に相手を追い込んでいくやり口は尋常ではなかったようである。

   彼は07年1月、被害総額3億円を超える恐喝事件の容疑者として大阪地検特捜部に逮捕され、懲役14年の実刑判決を受けて服役中である。その彼に「兵庫県警がある意図を持って靖憲を事情聴取したのは、九○年代初めのことだった」そうだ。

   未解決のまま時効を迎えた警察庁広域重要指定一一四号事件、通称「グリコ森永事件」の犯人ではないかとの疑いをかけられたのだ。当時を知る兵庫県警関係者が打ち明ける。

「月岡が引っ張られた理由は二つ。顔つきが『キツネ目の男』に近いこと。もう一つが、確かに『ビデオの男』に似ているという点だったが、あのビデオの映像は顔がしっかりと確認できず、正確には、月岡はビデオの男と肩のラインがそっくりだった」

   彼もその後、複数の報道関係者の取材に応じ「グリ森犯」と疑われた事実を打ち明けているそうだ。

   角田美代子の周りの人間にもさまざまなドラマがあるようだ。この事件は各誌書いているように、戦後の数多くの事件の中でも特筆されるものだと思うが、意外なことに、けさ(11月1日)の朝日新聞を見ていて気がついた。「兵庫県尼崎市の連続変死事件をめぐり、事件と関係のない女性の写真が角田美代子被告(64)の写真として複数のメディアで報道された」という記事である。

「今回、複数のメディアが美代子被告として報道した女性の顔写真は、美代子被告の親族が通っていた学校の式典で、1993年春に撮影されたものだ。複数の新聞や通信社、テレビ局は10月20日前後から、この写真を「美代子被告」として掲載、放映した。
   しかし30日夜になって事態は急転する。事件とは無関係の50代女性が『この写真は私』と名乗り出た」(朝日新聞)

   あわてた多くの新聞、テレビ、週刊誌はお詫びをしているが、中で現代は「今回の事件については報じていない」と答えているのである。 あれれと思って何冊か見てみたが、たしかに現代はこの事件をほとんど報じていないようである。なぜ、これほど面白い事件を報じないのか。そのほうに興味がわいた。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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