バーで1日の終わり…男は癒しを求め、女は出会いを求めている

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   男は癒しを求めて、女は出会いをもとめて訪れるのがバーだ。細長いカウンターに腰をおろし、1日の疲れをふっと軽くしてくれる。まっすぐ家に帰るにはちょっと後ろ髪惹かれる思い。そして邪険に扱われるだろう数時間先をなんとか遠ざけたい。そんな思いの男たちに、バーカウンターの向こう側にいる女性は優しく包み込むように接してくれる。いろんな愚痴を言ううちに、もう1杯がもう3杯ぐらいになったころ、ほろ酔いですべてを忘れて帰宅する。

高いヒールにワンピースの夜はなんとなくそんな気分

   これは女だって一緒だ。愚痴をバーカウンターの向こうにいるマスターにそれとなく聞いてほしい。悩みごとを聞いてほしい。おしゃべりできる空間を求めて、つい足が向いてしまう。けれど、そこに男女ともに下心はある。バーは出会いの場所だからこそ、女は少しおしゃれにしていた時に行きたい気分になる。心の底からお酒で憂さ晴らしをしたくても、ジーンズに毛玉のできたセーターではバーに行く気分にはならない。ちょっと高いヒールの靴でも履いていて、ワンピースなんかを着ている夜に行きたくなる。

   だけどここに大きな壁が立ちはだかる。それはバーでは癒しきれない肉体的な疲れ。高いヒールをはいていたら、足はもうむくみでパンパンになり、足の親指と小指は圧迫されて真っ赤に腫れあがっている。一刻も早く靴を脱いで、タイツやパンストも脱ぎ去りたい!そんな肉体的な疲れと精神的な疲れ、どっちを先に癒したいだろうか。断然、肉体的な疲れだと私は思う。

   そりゃ、バーに行けば素敵なメンズに会えるかもしれない。その可能性が0%だとは、店に行ってみるまではわからない。その出会いを見捨てるか、それとも己の足の疲れを癒すほうが先か。これは結構大きな問題だ。

「ママのドジ」がうれしくてしょうがないカウンターのおじさん2人

   先日、久しぶりに銀座のバーに連れて行ってもらった。止まり木にはサラリーマンのおやじが2人。次第に酔いが回ってくると、とろんとした目でカウンターのママを見つめている。その目は、どこか母親に甘える子供のようでもあるし、美人にただ見とれているようでもある。

   そんな彼らが見つめているママといえば、客が見ていてもわかるほど少々おっちょこちょいなようだ。客に出すグラスを探して、腰を扉にぶつけたり、カウンターの中に入るときにつまずいたりと、なにやらバタバタしている。その様子を見てイライラしていたのは、女性2人で入った私たちだけだった。おじさんたちは「おい、大丈夫か」なんて娘を見守るように声をかけている。

   そのうち店内のBGMを替えようとしたとき、年季もののCDコンポの調子が悪く、どうにも新しいCDが再生されない。もうこうなるとおじさんたちは狂喜乱舞。「ちょっと、そっち行って見てあげようか」「本当にドジだなぁ。しょうがない娘だ」とママをからかいだす。

   カウンターの下で靴をこっそり脱いで足先にぶらぶらと掲げていた女2人は、これかぁとため息をつく。なんだか危なっかしくて、おれがついていないと彼女はダメなんだと思わせるテクニックだ。

   重い荷物を平気ですからと持ったり、自分でなんとかしますからといって一人で頑張るのが、人に迷惑をかけないということだと思っていた。でも、それは興味を持ってもらえないという迷惑を人に与えているのかもしれない。かまってほしいと男性に思わせる仕草をどのシーンで使うのか。その計算すらもできていない私たちに、バーボンのロックがしみてくる。

   ママにかまっていた彼らは、終電間際にバタバタと帰って行った。その背中はどこか未練が感じられた。きっと彼らは癒しを得られただろう。靴の疲れは全快しないけれど、女は痛みをこらえてやってくると、こうしたことを知れることもできた。

モジョっこ

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