昭和の大横綱なかったかも?大鵬危うく命拾い!サハリン帰還船が魚雷で沈没

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   大相撲史上最多の32回優勝を残した元横綱大鵬(本名・納谷幸喜)が、おととい19日(2013年1月)午後3時15分に心室頻拍により亡くなった。享年72。「朝ズバッ!」では「波瀾万丈72年相撲人生」と題し、「ミノがしません!けさ単!」コーナーと「ズバッ!8時またぎ」コーナーで追悼特集を組んだ。

貧しい家助けるために納豆売りや土木作業員

   大鵬は1940年のサハリン生まれで、戦後すぐに輸送船で本土に向かったが、母親がひどい船酔いになり北海道で下船、その後、乗ってきた輸送船は謎の魚雷で沈没した。そのまま乗船していれば昭和の大横綱は誕生していなかったわけだ。

入門時はガリガリ

   井上貴博アナウンサー「少年時代は貧しい家庭を助けるため、納豆売りや土木作業員をして家計を支えました」

   横綱白鵬は「亡くなる数日前にお目にかかっていました。稽古しろ、精進しろと励まされました」としんみり語る。NHKの元大相撲担当アナウンサーで東京相撲記者クラブメンバーの杉山邦博氏をゲストに、二所ノ関部屋に入門した頃の16歳のコロの写真を見せた。

   司会のみのもんた「見て下さい、この写真。身長は183センチと高かったものの、上半身はあばら骨が見えるほどガリガリに痩せていました」

   杉山「体を作るために、毎日テッポウ200回、四股500回を欠かさずにやっていました」 みの「横綱時代のライバル柏戸と比較されて、剛の柏戸、柔の大鵬と呼ばれていたそうですが」

   杉山「とても柔らかい体の力士でした。そういう体だからこそ幕内以来の勝率が83.8%という大記録が生まれたわけです。1971年夏場所で貴乃花に破れ引退しましたが、これでもう後進に道を譲れる。後継者が立派に育っていると考えてのことだったようです」

   二所ノ関部屋は親方が病気療養で維持が困難と、この初場所で閉鎖される。

文   ナオジン | 似顔絵 池田マコト
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