山崎豊子「立ったまま死んだ」円くならずいつまでも怒り…問い続けた戦争と不条理

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   ベストセラー作家、山崎豊子さんがおととい29日(2013年9月)に亡くなった。88歳だったが、なお執筆のつもりだった。この8月から「週刊新潮」に連載している「約束の海」は、第1部20話をすでに書き上げていたが、第2部以降も視野にあったのは間違いない。すさまじい創作意欲だった。

未完の絶筆「約束の海」第1部20話すでに書き上げ

   大阪出身。毎日新聞の学芸部の記者になり、家庭面などを担当していたが、上司に井上靖がおり、薦められて記者のかたわら小説と書き始めた。1957年の自伝的小説「暖簾」が処女作だ。翌58年、吉本興業の女性創業者を描いた「花のれん」で直木賞受賞して、作家としての地位を確立した。

小説であって小説でない

   大坂の商家を舞台とした人間ドラマを多く手がけたが、大学病院の腐敗に切り込んだ「白い巨塔」(65年)で社会派の顔になった。73年には銀行再編をあつかった「華麗なる一族」、元関東軍参謀が戦後を商社マンとして生きる「不毛地帯」(76年)では、取材にシベリアも歩いた。兄弟が日米に別れた悲劇「2つの祖国」(83年)と中国残留孤児の物語「大地の子」(91年)は、「不毛地帯」と合わせて戦争3部作といわれる。

   構想、取材に5年、10年かけることも珍しくなく、日本航空機の御巣鷹山墜落をモデルにした「沈まぬ太陽」(99年)、沖縄返還の密約に材をとった「運命の人」(09年)と続く。連載が始まったばかりの「約束の海」は、元海軍軍人を父にもつ海上自衛隊員の物語で、 日本の海をとりまく現状をテーマにした大作になるはずだったが、未完の絶筆になった。

   取材の厳しさは徹底していた。「取材の鬼」ともいわれ、本人も常々「趣味は小説。小説をとったら何もない」「小説しか頭にない小説バカといわれた」と話していたが、執筆ぶりもすさまじかった。「不毛地帯」を連載していたのは49歳のときだったが、抑留問題や商社の取材に4日をかけ、これが朝10時から夜まで。そして執筆に3日、それも午前10時から午前1時までが決まったペースだったという。幕切れもまさにその延長上にあったようだ。

全17作全てベストセラー。映画・ドラマ化14作

   司会の加藤浩次「56年間に未完も含めて17作。うち14作が映像化(映画・テレビ)されています。すべてがベストセラー」

   キャスターのテリー伊藤「普通、番組つくるときはだれをターゲットにとかいうことが多いが、山崎さんはだれに読ませるかを一切考えない。真実を書く。そのすごさ」

   ロバート・キャンベル(東大教授)「作家は短編や随筆も書くものだが、彼女は長いものしか書いてない。構成が精緻で、妥協がない。小説というよりドキュメント、小説であって小説でない」

   いや、数は多くないが中短編もエッセイ集も出しているよ。

   香山リカ(精神科医)「白い巨塔で描いた大学病院の医局は、医学の世界がどうなっているかを一般の人も知った。いまはほとんど医局はなくなっています。小説が現実を変えたということでしょうね」

   テリー「もうひとつ、同じ世代の人たち、戦争で死んでいった人たちへの思いがあって、それを作品にしていった。使命感があったんだろうね」「ズーッといい人じゃなかったと思う。いつも恨んでるとか、いつも悔しいとか。年をとっても穏やかにも円くもならなかった。弁慶じゃないけど、立ったまま死んでいくような凄さがある」

   終戦直後にはそういう作家はいくらでもいた。その意味では最後の1人なのかもしれない。

文   ヤンヤン | 似顔絵 池田マコト
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