2024年 4月 24日 (水)

袴田事件30年かかった「再審決定」釈放!裁判官の怒り「証拠捏造、正義に反する」

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   1966年、静岡で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌死刑囚(78)の第2次再審請求に、静岡地裁はきのう27日(2013年3月)、再審開始を認めた。DNA鑑定から「捜査機関による証拠ねつ造」の疑いが出たためで、裁判長は「拘置続行は正義に反する」と袴田さん釈放も決めた。逮捕以来、実に48年ぶりだ。

   東京拘置所を出る袴田巌さんの足取りはしっかりしていた。傍らに付き添う姉の秀子さん(81)は満面の笑みを浮べていたが、当の巌さんの目はうつろ、表情もない。釈放を伝えたときも「うそだろう?」と言ったそうだ。

一審死刑判決の裁判官「本当は無罪だと思った」

   清水市(現静岡市)の味噌製造会社の専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の刺殺体が見つかった。住み込み社員だった袴田さんが逮捕され、取り調べ段階でいったん自供したが、裁判では一貫して無罪を主張し続けたものの、80年に最高裁で死刑が確定した。81年に第1次の再審請求がなされたが、最高裁が棄却したのは27年後の2008年だった。

   無実を信じてほぼ半世紀、再審を求め続けてきた秀子さんは月に1度拘置所を訪れてきたが、ここ3年半は巌さんが面会を拒んでいた。68年に母親が亡くなり、きょうだい4人も亡くなり、いまは2人だけだ。

   巌さんは母親に宛てて「僕は犯人ではありません」と繰り返し手紙を書いていた。3000通を超えるという。07年に死刑判決を出した元裁判官は「無罪だと思った」と告白した。大きな転機だったが、これを伝えても巌さんは「きょとんとしてました。反応がなかった」

   すでに精神を病んでいた。拘禁症状だ。認知症もあるという。

DNA鑑定で「証拠衣類の血痕は袴田さんのものでも被害者のものでもない」

   今回の決定の決め手はDNA鑑定だった。事件から1年2か月もたって、味噌タンクの中からみつかった5点の衣類は、犯行時に袴田さんが着ていたものとして有罪の決め手とされていた。しかし、弁護側の鑑定の結果は、付着していた血は被害者のものでも袴田さんのものでもなかった。時間が経ってから味噌タンクに浸けられたものということもわかった。

   決定は「ねつ造する必要と能力を有するのは、おそらく捜査機関(警察)のほかにない」「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上拘束し続けた。刑事司法の理念から到底耐え難い」とした。それでもなお、静岡地検は即時抗告の予定だという。彼らはいったい何を守ろうとしているのか。

   釈放され、ホテルで姉と弟が並んでVサインをしている写真があった。笑顔の秀子さんの脇で、巌さんには表情がない。逮捕されたとき33歳と30歳だった2人はいま81歳と78歳だ。何と過酷な歳月だったことか。

   司会の小倉智昭「もっと早くこういう結果が出なかったものか」

   ショーン・マクアードル川上(経営コンサルタント)「アメリカでは大陪審というんですが、起訴するかしないかを決めるシステムを考える必要がありますよ」

   笠井信輔キャスター「最初の判決を書いた裁判官が無罪と言い、支援に回っていた。それが実を結ぶまでにこれだけの時間がかかる」

   DNA鑑定がなければ、おそらく何もわからず、変わりもしなかっただろう。ねつ造にしたって戦前はもちろん、戦後もいくらでもあることだ。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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