2024年 4月 25日 (木)

韓国旅客船転覆・沈没で生死を分けた「右舷と左舷」45度の傾きで床はすべり台

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   韓国「セウォル号」の救助された乗客から、リポーターの井口成人が事故直後の緊迫した生々しい様子を聞きいた。元海兵隊員だったという男性(54)はこう語る。

「3階の食堂で高校生と一緒に朝食をとったあと、進行方向右側の3階2等船室に戻りました。このときすでに船は傾き加減で、まもなく45度に傾き、このとき流れた船内放送が『動かないで、じっとしていて』でした。それから30分ぐらいして『救命胴衣を着けろ』というアナウンスが流れました。
   私は海兵隊にいたんで、『じっとしていろ』という指示がある時はたいてい船が座礁したときなんです。だから、初めは暗礁に乗り上げたと思っていました。暗礁に乗り上げたのなら、救助船が近づいてくるのが見え続けるはずですが、船が旋回していたために救助船が視界から消えました。それで暗礁に乗り上げたのではないと分かり、1時間以内に沈むと判断して一緒にいた男性と海に飛び込みました。
   私は3階にいたんですが、4階にいた女子高生たちは救命胴衣を着て唇は真っ青、髪はずぶ濡れで、鼻のあたりまで水が来て『助けて』と叫んでいました。顔を傷だらけにして泣いていました」

乗客の元海兵隊員「『じっとしていろ』は座礁のときの指示」

   同じ3階の右側の2等船室にいたトラック運転手の男性(48)はこう話す。「船が大きく傾くまでベットの中にいました。あっという間に45度に傾き、滑って壁にぶつかりましたが、何とかドアを開けて下着姿のまま脱出しました。船が倒れると直感したんです。今からでもあそこに行って、あの子たちを助けたい。毎晩、『助けて』という生徒たちの声が聞こえるんです」

   船長はじめ乗組員が乗客を見捨ていち早く逃げてしまった船内で、生死を分けたのは何だったのだろうか。東京海洋大の渡邉豊教授はこう指摘する。「進行方向の左側に傾いた船で左側にいた人たちは助からなかったでしょう。45度に傾くと床はスベリ台になる。50度では鉄板の壁をよじ登るようなものです。船の左側にいたのと右側にいたことで生死が分かれたのではないでしょうか」

   宇治原史規(タレント)「指示通り動かないといけないのか、自己判断で動くべきなのか分からないですよね」

   元海兵隊員はこうも話した。「1時間という時間を無駄にしてしまいました。その後、放送はまったくなく、各自で行動するしかなかった」

   その1時間の間に適切な指示さえあれば、若い多くの命が救えたはずだった。

文   モンブラン
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