<柘榴坂の仇討ち>
中井貴一も広末涼子も阿部寛もきれいに描き過ぎ!桜田門外の変で狂わされたそれぞれの人生

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(C)2014映画「柘榴坂の仇討」製作委員会
(C)2014映画「柘榴坂の仇討」製作委員会

   ときは江戸と東京の境目。変わりゆく世の中に逆行し、亡き主君の仇討ちだけを心に期して生きる旧彦根藩士を中井貴一が演じる。主人公・金吾は命に代えても守ると誓った主君・井伊直弼を桜田門外の変で失った。護衛の身でありながら主君を守ることができず、おめおめと生き延びてしまった金吾を恥じて、両親は自害した。切腹も許されない金吾は、下手人を探しだして墓前に首を供えるまで生き恥をさらすよう、命をいいつかる。それから13年。下手人を追い求めるうちに幕府は倒れ、廃藩置県で帰るべき藩を失い、仇討ちのために生きるという考え自体が時代遅れになりつつあった。そして、安政7年、政府が仇討ちを禁じたその日に、金吾は長年探し求めていた主君の敵の所在を知る。

泣かせます!浅田次郎ワールド

   原作・浅田次郎で、主題が許されぬ仇討ちと来たら、これはもう泣かせにこないわけがない。そんな生き方は時代遅れだと言われても、「自分は主君に惚れていたんだ」の一言で押し切る中井貴一の一本気、不器用さときたら、まさに武士、いや「おさむらいさん」だった。武士の生き方というと、清廉で漢気があって、というイメージだけれど、「おさむらいさん」という呼称からは、それに加えて馬鹿真面目や時代錯誤感が漂ってくる。

   敵役を演じる阿部寛もまた格好いい。自分のした行為がより良い未来につながっているはずだと信じ車を引く。自分の行為が過ちだと認めてしまったら、それこそ井伊直弼は何のために死んだのかわからない。だからこそ、妻もとらず、その日の暮らしを力仕事で賄いながら、変わりゆく世の中に逃げずに向き合う。

   加えて、中井貴一を支える妻の広末涼子ときたら...。3歩下がって男を立てるけれども芯が1本通った武家の女の理想像そのものだった。仇討ちに生きる主人に何も言わずにつくし続け、お金のことを夫に心配させるようなことは一切しない。毎日、今生の別れを覚悟しながら夫を送り出し、夫が仇討ちを成功させて切腹を果たせたら、自分も後を追うつもりでいる。いやぁ、できすぎの妻で、これもまた健気さが涙を誘う。

馬鹿真面目と時代錯誤の自己陶酔

   とはいえ、全員が格好良すぎるのも考え物かも。とくに広末。あんた、いい女過ぎてこっちが辛いわ。中井貴一もねえ、一本気で素晴らしいんだけれどさ、あんたがた夫婦、もうちょっと私利私欲で動いてもいいんじゃないの。過去に藩から出された命令なんかに従う必要のない世の中で、時代錯誤と馬鹿にされて...。こちらとしては、もう少し利己的に感情との葛藤シーンが見たかったような気もする。けれど、そこで「私」を抑えて、中井貴一は井伊直弼のために、広末涼子は中井貴一のために生きるからこんなに健気で美しい、というわけです。

   「蒼穹の昴」や「中原の虹」でもそうだったのだけれど、歴史上で悪名高い人物の慈しみの心や、暴君の顔の裏の穏やかさを描くという浅田次郎の得意技が炸裂していた。この作品でも、生前の井伊直弼の「季節の移ろいを愛し、民草の声に耳を傾けるエピソード」をがんがん投入してくるからこそ、中井貴一の「井伊直弼に惚れていたから恩に報いるために仇討ちに生きる」という超絶シンプルな動機が成り立ち、話自体を成立させている。

   漢気と漢気のぶつかる殺陣シーンで映える雪の白さと血の赤、そして椿の赤。「時代は変われども、己の忠義にひたむきに生きよ」のメッセージが鼻につかずに、すんなり馴染む「古き良き武士道」映画でした。

(ばんふう)

おススメ度☆☆☆

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