高倉健「日本的寡黙な男」作られた虚像か...素顔は剽軽で洒脱で恥ずかしがり屋で冗談が好き?
<俳優 高倉健の訃報報道>(各局)

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   筆者は任侠映画のたぐいは全く見たことがなかったので、高倉健の高名は知っているが、大衆の心の中の彼の存在の大きさについては世評と格差があった。今回初めて高倉健体験をしたような気分である。高倉より少し下の年代の映画通から聞いた話だが、その人は高倉健と聞くと反射的に思い出すのは、離婚した妻・江利チエミとの結婚の意外さだったという。つまり、およそ江利は高倉的人物が交際する範疇の女性ではなかったと思っていたのである。
   彼らが結婚した時、確かに江利チエミは大スターであり、高倉の方が駆け出しだった。高倉が江利を追っかけていたのかもしれないが、バタ臭いジャズがめっぽう上手くて、甘えん坊のチエミのスターらしくない愛らしさを彼はめでたのだろう。自分の事を「ノ二ー(何々なノ二ーと言うのがチエミの口癖だった)」と呼んで目をくりくりさせながら見上げるチエミは、高倉の素の部分の好みに合致していた。たおやかな日本的美人なんか関心がなかったのだ。
   つまり、高倉の日本的寡黙な男は実は作られた虚像で、地の部分はむしろ剽軽で洒脱で恥ずかしがり屋で、冗談が好きな普通の男だったのではないかという疑問である。だから、離婚しても彼はずっとチエミを愛し続けた。墓参を欠かさず、2人の間の水子地蔵も立てていた。滅法頭がよかったから自分を客観視出来た。崇められる自分をどこかで冷めた目で見ていた。その分孤独だっただろう。合掌。(放送2014年11月18日、19日)

(黄蘭)

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