2024年 4月 16日 (火)

菅原文太「農業は実業、映画は虚業」畑と被災者支援と戦争・原発反対の晩年

   訃報が続く。今度は菅原文太だ。28日(2014年11月)に転移性肝がんによる肝不全でなくなった。81歳だった。映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズ」で人気となったが、若い人たちには「軽トラックCM」の農家のおじさんのイメージだったか。

   東日本大震災では「3年もたって仮設住宅とは恥だ」と怒り、沖縄知事選では「戦争はダメ」と説いた熱い人だった。

松方弘樹「息子を事故で亡くして変わった。目までやさしくなって好々爺」

   先に高倉健が82歳で亡くなったばかりだ。同じヤクザ映画でスターになったが、静かな男の高倉とは対照的に、菅原は直裁で行動的で、ヤクザ路線を離れてからもちょっとユーモアのある行動派のイメージを保ち続けた。

   共演が多く個人的にも親交があった松方弘樹は「文太さんがいたから頑張れた。いつか絶対に越してやろうとかね」と話す。ただ、「(息子の)加織を事故でなくしたのが70代で、あれから変わった。いい変わり方、いい好々爺になった」

   彼の時代としては珍しく、ファッションモデルから24歳で映画界入りした。初主演は39歳という遅咲きだが、70年代にトップスターになった。50歳を過ぎてからは福祉活動などに力をいれていた。松方も「息子の死のあと、人生は映画だけじゃないぞと目までがやさしくなった」という。

   山梨で農業をはじめ、講演活動もした。2011年の東日本大震災では支援活動に打ち込み、翌12年には俳優活動の引退を表明した。「農業は実業だ。映画は虚業だけど、農業はウソじゃできない」とおだやかに話していた。

   30日に太宰府天満宮で家族だけの葬儀を済ませた。妻の文子さんは「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前とは違う学びの時間をもち、『朝に道を聞かば夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごして来たと察しております」といいコメントを出した。

CM共演のはるな愛「ご自分で作った唐辛子とかくださった」

   キャスターのテリー伊藤「いつになってもアップに堪えられる。かっこいいですよね。同じやくざ映画に出ていても、高倉健さんがロマンの中にいてフォークギ ターとすれば、菅原さんはエレキギター。はげしい」

   自動車メーカーのスズキのCM「軽トラ野郎」に共演したのが、きょう2日(2014年12月)のレギュラーコメンテーターはるな愛(タレント)だった。「父が『トラック 野郎』とか大好きでしたから、あの人だと緊張しました。ご自分で作った唐辛子とかくださった。奥様と一緒で温かい方でした」

   まったくどうしたことか。きのう1日は、オペラ歌手の中島啓江さん(57)、昭和の碁聖・呉清源さん(100)、ボンカレーの大塚明彦さん(77)とたて続けに訃報が伝えられた。陽気が悪いんじゃないのといいたくなる。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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