2024年 4月 17日 (水)

「立小便できなくなっちゃう」膀胱がん切らなかった菅原文太!2年前の再発知らぬまま...

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「立ち小便が出来なくなったら菅原文太じゃねえ」

   2007年に膀胱がんと診断された文太は、こういって自分を鼓舞したと『週刊新潮』は書いている。11月10日に亡くなった高倉健に続いて、28日に菅原文太が逝ってしまった。享年81。健さんより2歳年下である。宮城県仙台市で生まれ、県立仙台高校を卒業して早稲田大学第二法学部へ入るも中退。178センチの長身と端正なマスクが画家・中原淳一の目にとまり、モデルになったことがきっかけで芸能界入りする。

   新東宝、松竹と移り、安藤昇(元安藤組組長で俳優)に勧められて67年に東映に移籍する。だが、長いこと鳴かず飛ばずで、任侠映画でトップスターになっていた高倉健は仰ぎ見る存在であった。『週刊文春』で東映の古参幹部がこう語っている。

<「本当に天と地くらい格が違っていた。健さんの前では文ちゃんは直立不動でしたから。ただ健さんは誰にでも優しく、『文ちゃん、東映ではこうなんだよ』と先輩として教えてあげていましたね。二つ違いの兄貴と弟みたいな関係に見えました」>

   文太も71年の「まむしの兄弟」シリーズで注目を浴び、73年から始まった「仁義なき戦い」で演じた広島のヤクザ広能昌三役でスターの座をものにする。これも東映のなかでは当初、外様の文太起用に異論があったというが、当時力を持っていた俊藤浩滋プロデューサーが彼のことを気に入っていて押し切ったという。

   75年には高倉健と「大脱獄」と「神戸国際ギャング」で共演した後、健さんは独立し、文太は「トラック野郎」シリーズで喜劇の才能も開花させ日本映画界の看板俳優になっていく。ともにヤクザ映画から国民的スターになったが、健さんは生涯「高倉健」を演じ続けたのに比べ、文太は映画だけではなく、有機農法を始めたり政治的な発言も多くするようになっていく。

   映画監督の崔洋一は週刊新潮でこう語る。<「東日本大震災の後は、文太さんなりに日本という国を悲観なさっていましたね。ご自分も東北出身で、自分になにができるかを考えておられました」>

   週刊文春で鎌田實諏訪中央病院名誉院長がこんな話をしている。<「八月に会った時、初めて父親の話を聞きました。お父様は四十歳を過ぎていたのに徴兵されたそうです。そして『帰国した時には夢も生きる気力も失っていた』『自分も戦争によって疎開させられ、惨めな生活をした。今日本は、戦争を再びやる国になろうとしている』とおっしゃっていましたね。(中略)

   最後に話したのは十月の電話でしたが、『原発が再稼働しそうだけど、まずいよな』『ミツバチが減っているのは農薬の使いすぎじゃないだろうか』という、至って真面目な内容でした」>

西麻布の秋田料理店で文太さんに頭下げられた...中畑清と大きな声のおしゃべりに恐縮

   私生活では66年に9歳年下の文子夫人と結婚し、1男2女に恵まれた。子煩悩な親だったが、長男が31歳の時、踏切事故で亡くなった後は1年も話ができなくなったという。そして膀胱がんが発症し、その時は切らずに治したが、2年前には転移が見つかった。だが、このことは文子夫人の判断で本人には知らせなかったそうだ。

   私が菅原文太を見かけたのは3、4年前、西麻布の秋田料理の店だった。たしか中畑清と一緒だったと記憶している。髪は白くなってはいたが豊かで、背筋のピンとした後ろ姿はやはり格好良かった。店を出て行くとき、大きな声で話していたことを気にかけたのだろう、われわれの席に向かって少し頭を下げて出ていった。

   週刊文春によると、死ぬ10日前、病室で健さんの悲報を聞くとこういったという。<「健さん、東映、映画のことは自分で書きます」>

   今夜は文太の「現代やくざ 人斬り与太」(深作欣二監督)でも借りて見よう。

自民党300議席の圧勝だって...しらけた無党派層の棄権でいよいよ優勢

   さっぱり盛り上がらない総選挙だが、この有権者の無関心が安倍自民党にとっては追い風になるという予測が新聞各紙の調査で出ている。困ったものだ。<14日投開票の衆院選について、朝日新聞社は2、3の両日、約6万人の有権者を対象に電話調査を実施し、全国の取材網の情報も加えて選挙戦序盤の情勢を探った。現時点では(1)自民は単独で300議席を超える勢いで、公明とあわせて定数の3分の2(317議席)を上回る可能性がある(2)民主は公示前の62議席から上積みするものの、伸び悩み、100議席には届かない公算が大きい(3)維新は公示前の42議席から後退、次世代も公示前の19議席から1ケタになりそう(4)共産は公示前の8議席から倍近く増える見通し――であることが分かった>(朝日新聞12月4日付)

   週刊文春の「295選挙区全予測」でも似たような結果が出ている。久保田正志政治広報システム研究所代表と取材班が調べたそうだが、まず投票率を戦後最低だった2年前の衆院選の59.3%よりも少ない55%に設定したそうだ。したがって、無党派層は選挙に行かないことになり、組織や地方議員、強い後援会を持っている党しか生き残ることができない。その結果がこうである。

   自民党296議席(現有295)、民主党81議席(60)、維新の党29議席(42)、公明党34議席(31)、次世代の党6議席(19)、共産党17議席(8)となり、自公あわせて330議席となり、依然として3分の2を超える大勢力は温存されたままになるというのである。困ったものだ。

自民・公明で3分の2超!「白紙委任」されたと一気に憲法改正

   安倍首相のいうように、「アベノミクスの成果に対してイエスノーか」というのが今回の選挙の争点であるのなら、『週刊現代』の巻頭特集は「ノー」を突きつけている。専門家50人に、アベノミクスをこのまま続けた場合、1年後にはこうなると予測させているが、1年後の日本経済がいい方向へ向かうと見ている人はほとんどいない。

   先日、米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスが日本国債の格付けを「Aa3」から「A1」に1段階引き下げた。21段階ある格付けの上から5番目である。<消費税率の再引き上げの延期などで、財政赤字の削減目標が達成できるかどうか、「不確実性が高まった」とした>(朝日新聞12月2日付)

   10月の勤労統計によると、労働者の実質賃金は1年4か月連続で減り続けている。アベノミクスは確実に破綻しつつあるのだ。

   では、週刊現代に回答したなかで、数少ない「イエス」といっているものを紹介しよう。「年金制度とNISA(少額投資非課税制度)が充実する」(大江英樹 オフィス・リベルタス代表)、「4月に株価が落ち込むが、その後反発する」(窪田真之 楽天証券経済研究所チーフ・ストラテジスト)、「歳出削減、社会保障改革が本格化する元年」(小林喜光 三菱ケミカルHD社長)、「緩やかながら着実な成長が持続する」(榊原定征 東レ会長、経団連会長)、「1000億円超の大型不動産取引が活発化」(関大介 アイビー総研代表)、「夏頃に政府がデフレ脱却宣言」(中野晴啓 セゾン投信代表)、「日本経済は2%前後のプラス成長を達成」(野間口毅 大和証券株式ストラテジスト)、「インフラ投資ブームで福祉施設が充実化」(藤根靖晃 ティー・アイ・ダヴリュ代表)、「日経平均が2万5000円に迫る」(武者陵司 武者リサーチ代表)

   全部で9人。その多くが企業の社長クラスか、株価が上がることに期待を寄せている人たちのようである。あとの41人はアベノミクスでは経済が復活しない、それほど期待できないといっているのだ。

   こうしたことを頭に入れ、我が物顔に振る舞って国民のことを蔑ろにする安倍自民党をギャフンといわせる投票行動を有権者が示すことが、今回の選挙の最大のテーマなのに、そのチャンスを逃していいのか。今度の選挙で大勝すれば、安倍首相は「白紙委任」されたといい出し、憲法改正にまで突き進むかもしれない。そんなことを許してはいけないと、私は考える。

   先日の沖縄県知事選の応援に行った菅原文太の応援演説のなかの「仲井真さんよ」を「安倍さんよ」と読み替えて読んでほしい。

「『仁義なき戦い』の裏切り者の山守、覚えてらっしゃるかな? 映画の最後で、『山守さんよ、弾はまだ残っとるがよ。一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと、『(対立候補の)仲井真さん、弾はまだ一発残っとるがよ』と、ぶつけてやりたい」

   文太のこの言葉を胸に投票所に行き、安倍自民を真っ青にさせるような一票を投じようではないか。

読売新聞の渡辺恒雄主筆「入院中」社内はポスト・ナベツネめぐって腹の探り合い

   週刊新潮に気になる記事がある。読売新聞の首領・ナベツネこと渡辺恒雄主筆(88)が11月14日に自宅で倒れて救急車で運ばれ、未だに退院できない状態にあるというのだ。

   なにしろ年も年だし、以前に大腸にポリープが見つかっているし、耳も不自由になってきているというから、何が起こっても不思議ではないが、長年、読売グループだけではなく、政界にも強力なパイプを持って影響を与えてきただけに、気になる病状ではある。

   いろいろ情報が交錯するなか、広報に確認すると、主筆自らが病床から回答を寄せたというではないか。そこには泥酔した上に睡眠薬を飲んだため寝室で滑って転んだ。その際に本棚に左肩をぶつけ上腕部を骨折したため、リハビリを続けているから長引いているが、年内には退院できるだろうと書かれていたという。

   この通りなら、時間は経ってもまた出社できるのだろうが、本人自らが返事を寄越したという点にいささか疑念が生じる。週刊誌の取材などにまともに答える人ではないのに、なぜ今回だけは答えたのか。

   あたかも読売内部では、「ポスト・ナベツネ」をめぐって政治部と社会部が争っているそうだ。ナベツネがこのまま引退するにしても、後継を自ら指名しておかなくては内紛が収まらず、社を揺るがす事態になるやもしれないのである。

   後継などつくらず独裁を続けてきた超ワンマンが消えるとすれば、読売社内の問題だけではなく、永田町にも何らかの影響が出ることも考えられる。続報を注目したい。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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