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クリスマスを日本に広げた正岡子規...いち早く季語に取り入れ、年の瀬に一句

   クリスマスは日本ではいつごろから広まったのか。ものによれば、始まりは戦国時代のころだが、江戸時代にキリスト教が禁止され、本格的に広まったのは明治からといわれている。キャスターの齋藤孝が「1分コラム」コーナーで正岡子規とクリスマスについて解説した。

臘八のあとにかしましくりすます

「子規はクリスマスをいち早く季語にしました。それによって、クリスマスが徐々に受け入れられていく様子が分かります」

   最初の句は明治25年(1892年)、子規25歳。

<臘八のあとにかしましくりすます>

「臘八(ろうはち)は厳粛な仏教行事のことで、そのあとに、クリスマスがやかましくやってくるといっています。当時の子規は華やかなクリスマスがちょっとやかましいと苦手に思っていたようです」

   4年後、肺結核に倒れ静養する日々。明治29年(1896年)、子規29歳。

<八人の子どもむつましクリスマス>

「病気の影響もあったのでしょうが、やかましいとはうって変わってクリスマスをほほえましく思っていますよね。クリスマスもカタカナに変わっています」

   その3年後、ほぼ寝たきり状態に。明治32年(1899年)、子規32歳。

<贈り物の数を尽くしてクリスマス>

「病による死を前にしながらも、ありったけの数多くのプレゼントがやり取りされることを子規も楽しんでいたという幸せの光景です。ということで、このようにクリスマスが日本の文化に入っていったということですね。以上です」

   子規が毎年のようにクリスマスを詠んでいたとは...。