2024年 4月 20日 (土)

谷崎潤一郎「細雪」モデルの妻に200通の手紙「御寮人様の忠僕として、お側にお使いさせていただきたく・・・」

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   日本の近代文学を代表する文豪、谷崎潤一郎の「細雪」のモデルとなった妻、松子と交わした200通以上の手紙が公表された。30年以上にわたって交わされた手紙には、道ならぬ恋に落ち、やがて結婚に至るなかで交わされた恋文、「細雪」執筆に至る動機、戦時下で連載中止に追い込まれ夫婦で作品を守ろうとする決意などが綴られている。

   手紙は谷崎の遺族の依頼で中央公論が保管していた。遺族の意向で「没後50年に公表」とされ、ちょうど今年がその50年目に当たる。

戦時下の掲載中止に必死で抗う2人

   松子が谷崎に宛てた手紙を目にしたのは初めてという谷崎文学研究の第一人者、早稲田大学の千葉俊二教授は「谷崎と松子の恋愛劇。そのドキュメントが臨場感を持って大量の書簡を通じ現れてきた。といいうことは、一つの事件といっていいほどの大きな出来事です」と語る。

   谷崎と松子が出会ったのは昭和2年だ。谷崎が大阪に講演に行った時で、谷崎40歳、松子24歳だった。大阪の裕福な家に生まれた松子は関西随一といわれた豪商の家に嫁ぎ、御寮人様(若奥様)と呼ばれていた。谷崎にも丁未子という2度目の妻がいた。

   豪商の若妻と小説家の道ならぬ恋。許されるものではなかったが、谷崎は華やかで気品のある松子への思いを止めることはできなかった。2人は意気投合し、すぐに手紙のやり取りが始まった。翌3年の松子の手紙には谷崎への熱烈な思いが綴られている。「あなた様の夢をあけ方覚めるまで見つづけました。いろいろ御話が御座います」

   ところが、2人にも暗い時代が否応なく押し寄せる。昭和2年に始まった金融大恐慌である。全国のほとんどの銀行が預金取つけの大津波に襲われ、松子の夫の事業も急速に傾き始める。この大津波のなかで、谷崎は松子が持つ気品や華やかさもいずれは消えてしまうのではと考え、それを作品の中に留めておきたいと思うようになる。「細雪」執筆の構想が芽生えたのだ。

   昭和7年に谷崎が松子宛てに綴った手紙にはこんな一文がある。「もし幸いに私の藝術が後世まで残るならば、それはあなた様というものを伝えるためと思召してくださいまし」

   昭和8年には松子宛てに究極のプロポーズともいえる次のような誓約を書いている。「御寮人様の忠僕として、もちろん私の生命、身体、家族、兄弟の収入などすべて御寮人様の御所有となし、お側にお使いさせていただきたく、お願い申し上げます」

   そして昭和10年に結婚。ただ、この時期、谷崎は源氏物語の現代語訳に取り組んでいたために、普通の夫婦のように一緒にいることができず、離れて暮らすことが多かったらしい。昭和16年に太平洋戦争が勃発。松子は戦時下の変わりゆく暮らしぶりを頻繁に手紙に綴り送っている。

   昭和17年、谷崎は時局に抗うように、念願だった「細雪」の執筆に着手した。18年には雑誌「中央公論」に連載を始めたが、時局に合わないと掲載中止に追い込まれてしまう。当時の心境を谷崎は「細雪回顧」でこう述べている。「自由な創作活動が或る権威によって強制的に封ぜられ、これを是認しないまでも深くあやしみもしないという一般の風潮が強く私を圧迫した」

   それでも谷崎は執筆を続け、親しい知人に私家版として配布したところ、刑事の来訪を受け脅されたという。「細雪」を書き終えたのは終戦の翌年だった。晩年の谷崎は海の見える熱海の自宅で松子と暮らし、昭和40年7月30日、松子に看取られて79歳の生涯を終えた。手紙のやり取りはその2年前まで続いていた。

高橋源一郎「「あの時代にああいう小説が生まれた驚き」

   作家で明治学院大学教授の高橋源一郎氏は谷崎の心境をこう語る。

「谷崎は関東大震災のあと関西に移住し、そこで大阪、あるいは関西という文化を探っていく。とくに女性の優しさ、まろやかな言葉遣いを探っていくうちに、彼にとって日本文化の源流みたいなものを見つけたのではないか。戦争とか東の国の言葉はちょっと違うのではないかというのがこの作品に書き込まれているように思います」
「あの時代にああいう小説が突然変異のように生まれたのは今でも驚きです。昭和16年に戦争が勃発し、それから4年ぐらい、ほとんどの作家は作品を書けなかった。目ぼしい作品といえば太宰治の短編かこの細雪のみですよ。美しい作品であると同時に、その時代にふさわしくない巨大なものが、美しいものとして存在することで極めてまれなものだったと思う」

   番組では、戦時下の松子が細雪を必死で守ろうとしたことが今回の手紙で見つかったとしていたが、圧力に対し2人がどう守ろうとしたかは、残念ながら紹介された手紙では「私の手でできる限り写したく一、二年全力を注いでみようと存じます」だけだった。

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2015年1月7日放送「谷崎潤一郎の恋文~文豪が貫いた意志~」)

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