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白鵬が入れ込む「170センチ・K-POPアイドル風モンゴル美女」夜な夜なマンション通い

<「実は、渋谷のマンションにはMというモンゴル人女性が住んでいて、横綱は彼女に会いに行っていたのです。横綱は彼女の住むマンションの家賃を払い、グッチやルイ・ヴィトンの新作バッグを買い与えるなど、贅沢三昧の暮らしをさせていた。Mは『横綱の愛人』といっていい存在なのです。

   付け人たちから、『横綱はMにのめり込みすぎて、お米(お金のこと)が出なくなったというボヤキが出るほどの入れ込みようでした」>

   白鵬に愛人! 合併号の週刊誌の中でピカイチのスクープはまたしても『週刊文春』だ。絶対匿名を条件に冒頭のように話すのはある角界関係者。

   そのマンションは東京・渋谷区の閑静な住宅街にあるそうだ。数年前から夜な夜な「山のような大男」白鵬(30)が出入りする姿が目撃されていたという。そのマンションで数時間を過ごした後、明け方前にはマンションを後にしていたそうだ。前人未踏の33度目の優勝インタビューで白鵬はこう語っていた。「強い男の裏には賢い女性がいます。横綱に上がった時、『精神一到』という言葉を教えてくれた賢い奥さんに感謝したい」

   1歳年上の紗代子夫人は徳島県の令嬢で、父親は朝青龍の全国後援会長を務めていたこともある資産家である。白鵬の一目惚れだった。交際3年のあと2007年に「できちゃった婚」した時、夫人はまだ学習院大学に在籍する女子大生だった。

   朝青龍と違って家庭を大事にする横綱という評判だったのに、裏の顔は違っていたようだ。Mを連れて飲み歩くこともあったし、千秋楽の打ち上げにも彼女は頻繁に顔を出していたという。ミニスカートやホットパンツ姿の派手なモンゴル人女性は、客の中でもひときわ目を引く存在だったというが、それはそうだろう。

<「彼女は百七十センチくらいある長身で、スラリとしたK-POPアイドルのような美女です。年の頃は二十六歳くらい。二人が出会ったのは、四、五年前の九州場所の打ち上げと聞いています。Mのお姉さんと白鵬が故郷の小学校の同級生で、それが縁で知り合ったと聞いています」(先のある角界関係者)>

   最近のMはモデルのようなこともしているが、彼女は金がかかる女で、横綱はこれまで4ケタ(1000万円以上)のお金を貢いだともいわれているそうだ。でも相撲には興味がなく、相撲観戦するわけではないという。

   白鵬はよく周囲にこんなことをいっているそうだ。<「やっぱりオンナはモンゴルのほうがいい。違うんだよ」(宮城野部屋関係者)>

   母国語で話ができることが楽しくてたまらないのだろうが、奥さんが聞いたらどんな気持ちだろう。

付き合い初めて数年・・・なぜバレた?最近のわがままに「お灸すえてやれ」

   それにしても、白鵬が夜ごとマンションに現れれば目立つことは間違いない。知り合って4、5年にもなるというのに、どうしてこれまで表沙汰にならなかったのだろう。大相撲村に生息している力士たちはもちろんのこと、新聞やテレビの記者たちも知っていながら知らない素振りを決め込んでいたに違いない。だが、このところ白鵬の記者嫌いやモンゴル籍のまま親方になりたいという、協会側からすると「わがまま」に、この辺でお灸をすえてやれという、どこからかの『意向』が働いたのかもしれない。

   相撲ジャーナリストの中澤潔氏はこう話す。<「今や相撲界は白鵬の天下です。強ければ何をやってもいいとモンゴル流に解釈しているのでしょうが、そういう点では傍若無人だった朝青龍とそっくりです。いまの相撲界には国技を継承しているという自覚がある力士は皆無で、その象徴が白鵬なのだと思います」>

   私は、このいい方は白鵬に酷だと思う。戦後の相撲の歴史に燦然と輝く金字塔を建てても、異国から来た横綱を見る日本人の眼差しは、かつての若乃花や栃錦、貴乃花ほどには温かくはない。早く白鵬を土俵に這わせる日本人力士が出てこないのか。そいう空気は土俵にいる白鵬には嫌というほどわかるに違いない。この愛人騒動が「白鵬突然の引退」につながらないか心配である。

「能年玲奈」事務所独立!月給5万円でパンツも買えなかった「あまちゃん」時代

   お次も週刊文春から。NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で一躍国民的アイドルになった能年玲奈(21)だったが、いま能年の姿を見ることができるのは「あまちゃん」の再放送とテレビCMのみだという。NHK朝の顔に何があったのか。

   週刊文春は能年と彼女が所属する事務所レプロエンタテインメントとの間でトラブルが起こっていると報じている。「あまちゃん」の撮影は過酷で睡眠時間は平均3時間、しかしもらう月給は5万円だけだったそうだ。撮影中こんなことがあったという。

<撮影が終盤に入り佳境を迎えた四月、ついに能年はパンクした。

   この時、能年が弱音を吐いて頼れるのは、折りにふれて演技指導受けてきた滝沢(充子・レプロのタレントたちのレッスンを担当していた=筆者注)しかいなかった。

   深夜、滝沢に電話をした能年は泣いていた。

「寮の乾燥機が壊れて、もう明日のパンツがない」

   コンビニで買えばいいと言う滝沢に能年は訴えた。

「財布には二百円しかない」>

   こうした状況の中で能年はレプロへの不信感を強めていった。経験の浅いマネージャーが現場に出されることが多かったり、現場マネージャーが次々に替わるうえ、移動の時にいない、先に帰ってしまう、画面に映り込んでしまうなどトラブルが続出した。共演者やスタッフに、能年が謝って回ることも少なくなかったそうだ。

   週刊文春によれば、何度か話し合いが持たれたが、Sマネージャーは能年にこう宣告したという。<「今後は単発の仕事しか入れられない。長期(連続ドラマなど)は入れられない。『あまちゃん』の視聴率は高かったから評価していますよ。でもお前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」>(週刊文春)

   そして、決定的な事件が起きたという。当時累計4000万部を突破する人気漫画「進撃の巨人」の映画化の話が持ち上がっていて、制作陣の間で、女性人気キャラクターであるミカサ役に能年の起用が検討されたそうだ。能年に知人を通じてこの話が届いたのだが、レプロは能年が事前に接触したことを問題視してオファーを断ってしまった。

   そんなこんながあって「事務所を辞めたい」と意思表示した能年とレプロの本間憲社長が話し合いを持つが、その席で激昂した本間社長が廊下まで能年を追いかけこう吠えたという。<「負け犬! お前はそんなんだからダメなんだな。逃げたな!」>

   本社を飛び出した能年はタクシーを拾うと、滝沢に号泣しながら経緯を語ったそうだ。

   そうしてやっと「三毛andカリントウ」という事務所を作り、滝沢が取締役に入ったが、こんな噂が芸能界を駆け巡ったという。<能年は、演技指導の滝沢に洗脳されている。滝沢の家に同居し、レプロが仕事をオファーしても、滝沢が断らせている>(週刊文春)

   右も左もわからない小娘を一から教えて、ようやくこれからカネになるという矢先に独立されたプロダクション側の怒りもわからないではないが、やり方が稚拙すぎると思う。

   週刊文春が「能年さんは仕事を断っているのですか」と声をかけると、能年は記者に向き直り、こう答えたそうだ。<「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」>

   小泉今日子がエッセイで能年にこう呼びかけている。<私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに「その火を飛び越えて来い!」という気持ちで待っている。すぐに傷の手当てができるように万全な対策を用意して待っている>

   バーニングプロダクションで鍛えられてきた小泉ならではの「応援歌」である。NHKの朝ドラで出た女優は育たないというジンクスがある。能年と事務所のトラブルは知らなかったが、ドラマや映画に出た能年は「あまちゃん」で見せたような生き生きとした躍動感が薄れ、普通の女の子になってしまった気がしていた。これを機に新しい魅力を出せる女優として羽ばたけるか、能年の正念場はこれからだ。

千葉・18歳生き埋め主犯少女の残虐非道「上から土を被せて荷物はその辺に捨てた」

   悪魔の所業というのはこういうことをいうのである。18歳の親しかった女友達を、貸したカネを返さない、夜の商売に必要な卒業アルバムを友人たちから借りて返さないことに腹を立て、知り合いのチンピラに頼んで乱暴したうえ、生きたまま埋めて殺した千葉の陰惨な事件は、この国のある部分が確実に壊れてきていることの証である。

   殺された野口愛永さん(18)は千葉の風俗街では「かれんちゃん」と呼ばれていたという。この年でホストクラブに出入りし、あるホストに入れあげていたそうだ。ホストが昇格すると、それを祝って「シャンパンタワー」というバカ騒ぎをするのが客の甲斐性だそうで、1回100万円もするため、千葉の船橋近くのセクシーキャバクラなどで働いていたそうである。

   だが、他のホストクラブにも顔を出していたそうだから、カネが回るわけはない。件の友人をはじめあちこちからカネを借りるが、なかなか返せない。それに、夜の商売をするために必要な卒業アルバム(写真付き身分証明書の代わり)を友人たちから借りては返さないことに、<どういうわけか怒りに火が付いた彼女は「かれん、マジむかつく」とか言って、暴走を始めちゃったんだ」(知人女性=週刊新潮)>

   週刊新潮によれば、加害少女と16歳の少年が野口さんに声をかけて車に乗せ、別のレンタカーに乗り換え、それに乗っていた20歳の井出裕輝と中野翔太が彼女を暴行して生き埋めにしたそうである。

   加害少女が野口さんを無残に殺したあと、電話で「まるで遊園地に行ってきたんだって感じ」でこう話したという。<「男の先輩(井出)たちが来て、拉致った車内で、かれんの手足を縛ったんだ。口に靴下を突っ込んで喋れないようにして、顔に粘着テープを巻きつけてから、かれんを林の中に連れて行って、先輩たちがかれんに『暴行』をしたんだよね。あいつ、『あ・・・あ・・・』としか言わなくなって、マジでガクガクと震えだした。それ見てたらイラついてきて、私、吸ってたタバコで根性焼きを入れて、皮膚をえぐってやったの。(中略)で、生きたまま埋めちゃって、上から土を被せて、かれんの荷物はその辺に捨てた」>

   これほど冷酷な殺しをしておいて、その一部始終を、遊びに行ってきたかのように話す神経は常人ではない。だが、自分の意に沿わないことがあるとすぐキレるバカ者たちが増えているのは間違いない。

   犯罪は時代を映す鏡である。そのうち、自分たちが恵まれないのは、今の年寄りたちがこの国をダメにしたからだと、バカ者たちによる「老人狩り」が始まるのではないか。数日前、50年ぶりに買ったエレキギターをぽつぽつ弾き始めたのだが、そんなことより空手か合気道でも習いに通うとするか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか