<NNNドキュメント「命を運ぶ電車~JR脱線事故10年 遺族の執念~>
妻は、娘はなぜ死ななければならなかったのか・・・福知山線事故遺族の喪失感埋める10年

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   あの日から10年。どんな大事件もそうした『区切り』でしか報じられなくなることを、風化だ、カレンダージャーナリズムだと嘆いたり、非難する声もあるのだろうけれど、「忘れないで」というメッセージを映像で伝えることができるテレビの威力を久しぶりに目の当たりにした。

   乗客106人が死亡したJR福知山線脱線故で家族を失った二人の遺族の10年という歳月を丁寧に描く。辛くて、強さに胸を打たれて、もっと多くの人に見てほしくなりました。放送時間が深夜というのが悔しいね。

加害者JR西日本と事故原因を研究

   妻と妹を一度に失い、同時に次女が大けがを負った淺野さんは、事故後、JR西日本を促して再発防止のための話し合いの場をけん引してきた。妻の人柄を問われたときの、「自己主張の強いタイプではなかったけれど、大人しいばっかりの人というわけではなくて、『私は生まれ変わってもお父さんと結婚するけど、お父さんはどうなの』とカラッと聞いて来たりするような」という言葉から、故人の姿がありありと浮かぶ。「彼女は1年間のクルーズに行っただけで、ひょっこり帰ってくる、とでも思いこまないと」

   しかし、淺野さんは事故に背を向けることはしなかった。感情としては「殺された!なんや!」という憤りはもちろんあるが、でもそこから何かが生まれるだろうか。自問し、JR西日本とともに安全を協議する場を設けることを提案した。協議の途中から始まった裁判の傍聴に行ったことはない。

   事故で一人娘を失った大森さんはJR西日本の組織や体質に疑問を投げかける意味で、裁判を見守ってきた。加害運転士は亡くなった娘と同じ年だった。年若い運転士に責任のすべてがあるのだろうか。運転士を追い込んだ組織体質やもっと根深い何かに責任を求め、改善を試みていくことはできないのか。JR西日本の経営陣が出廷するたびに祈りは強まった。

テレビの威力目の当たりにした秀抜ドキュメンタリー

   しかし、裁判で感じたのは「司法の限界」だった。経営陣が加害運転士のスピード超過を予期するには距離がありすぎる。経営陣の作った風土が、現場の規律が・・・と因果をつなげたいのが感情だとしても、法の前では「こじつけ」でしかない。

   ぽっかりと空いた日常には、憤怒や罵倒よりも強い喪失感が漂う。信じられないという思いは、次第に受け入れるしかなくなり、その人の居ない日々がいつか新たな日常になる。ただ、新たな日常の辛さ、苦しさに慣れることはずっとない。いつしか痛みは日常になり、ライフワークになる。淺野さんが作り上げた事故の原因究明報告書や大森さんの見つめる裁判がそうだ。そして、遠ざかることがイコールで事件の風化に繋がるのは輪の外側にいる者だけなのだという事実を改めて思い知らされた番組だった。

   後味の悪さの一因は、加害企業の杜撰な安全教育に対するアンサーが、番組内でも、社会的にも、腹落ちに至っていないからかもしれない。(放送4月27日深夜0時55分~)

ばんぶぅ

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