新潟水俣病から50年!いまだ認定待ち113人~未解明部分多い症状

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   4大公害病の一つ「新潟水俣病」が5月31日(2015年)、公式確認から50年を迎えたが、いまもって113人が認定を待っており、認定をめぐる訴訟も続く。医学的にもまだ未解明な部分が多く、病気の新たな事実が出てくる可能性があるという。この50年は何だったのか。

新潟県が導入「参考人制度」認定に弁護士、研究者も参加

   熊本で水俣病が確認されたのが昭和31年。新潟はその9年後だった。企業排水の水銀が魚を介して起こす水銀中毒は脳を侵す。患者の姿は世界にも伝わり、「水俣病」は公害病の代名詞になった。

   新潟・阿賀町の神田三一さん(85)と兄の栄さん(87)はおととし患者認定を申請した。手のふるえ、めまい、視野狭窄はあるが、これまで名乗ることをしなかった。患者だった父親に対する周囲の偏見を見てきたからだ。しかし、兄弟は80代も半ばになり、「生きているうちに」と申請に踏み切った。

   美しい阿賀野川を見ながら三一さんは、「汚染された魚をおいしいおいしいと食べていた。悔しいなんてもんじゃないですよ」という。

   国の救済策は遅いうえにハードルが高かった。昭和52年に出した認定基準は、感覚障害、運動失調、視野狭窄など複数の症状が条件だった。はねられた人たちの訴訟が相次いだ。国は平成7年と22年の2度、一時金など政治解決を図ったが、最高裁はおととしに「症状は複数でなくても認定の余地はある」という判断を出した。

   政府はこれを受けて昨年、指針を出して「ひとつの症状でも、魚を食べたなど因果関係が認められれば認定される」とした。新潟県はさらに審査に「疫学」思考を導入して、医師に加えて弁護士、研究者ら「参考人」が参加する新たな方式を作った。

   ただ、これも容易ではない。疫学調査では、魚を仕入れた人の名前、居住地から運搬、調理法まで50項目の記憶を呼び戻さないといけない。先の神田さん兄弟の調査書には、アユ、ウグイ、サケ、マスなどの魚の名前が並んだ。参考人の板東克彦弁護士は「93歳の人もいますから」という。

初めて気付く「私は水俣病患者だったんだ」

   113人は高齢者ばかりではない。45歳の女性は子どものころから痛みや熱さの感覚が鈍かった。ビールビンの破片が足に刺さっても、「何かあるな」という程度で、血が流れ出して初めて驚くということもあったという。母親も症状がある。母親の主治医は、彼女の場合はむしろ母体を通して汚染された「胎児性」の可能性をいう。

   胎児性水俣病の研究をしている岡山大の頼藤貴志・准教授が行った「認知機能」の調査がある。数字の暗記、計算、記号の認識など簡単なテストだが、胎児期に汚染された可能性のある人たちは、通常より認知機能が2割ほど低いことがわかった。頼藤准教授は「水銀で脳が傷ついた可能性がある。当人は生まれつきそうなのかと 思っているし、外見ではわからない」と話す。これは衝撃だ。

   熊本・水俣市の緒方博文さんはいつもノートをもっている。「記憶が苦手で、すぐ忘れちゃうので何でもノートに書きとめるんです」という。82歳の母親は症状がある。自らも手足のしびれ、頭痛などで10年前に認定を申請した。頼藤氏の調査結果を前に、「自分の認知機能を水俣病と結びつけたことはなかった」「新たな視点がみつかったら、とことん検証、調査すべきです。本気で救済するのなら」と訴える。

   東京経済大の尾崎寛直・准教授は「水俣病の歴史は水俣病とは何かをめぐる戦いで、カギは国が握ってきた。認定制度は重度の人を対象にできていて、微量汚染では解明されてないことがたくさんある」という。

   半世紀も経って! と思わずいいたくなる。新たな発見は他にもあるのだ。かつて水俣病患者が「怨」というゼッケンをつけ、企業に向かって「補償は要らない。水俣の排水を飲んでくれ」と叫んでいたのを思いだした。あれから何が変わっただろうか。

ヤンヤン

*NHKクローズアップ現代(2015年6月4日放送「『病の姿』が見えない~新潟水俣病の50年~」)
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