伝説の投手・沢村栄治「フィールド・オブ・ドリームス」幻の日本シリーズ動画あった!

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   神奈川在住の繁岡春子さん(81)は亡父の遺品の中から古い8ミリフィルムを見つけた。そこに2分ちょっと野球の試合が写っていて、ケースには「昭和11年12月」とある。これを家人がネットに載せた。幻の映像発見の始まりだった。

   戦前のプロ野球を調べていたノンフィクション作家の森田創さんはこの年の優勝決定戦ではないかと直感した。昭和11年は日本のプロ野球(当時は職業野球)元年。7球団が春と秋のリーグ戦を戦い、それぞれの優勝チーム、東京巨人と大阪タイガースが12月に初の日本一をかけて洲崎球場(現・江東区)で対戦、巨人が勝っている。日本シリーズの原点だ。

日米野球ではベーブ・ルースらから三振の山

   NHKが画面の鮮明化に取り組んだ。2か月の作業で背番号や選手の動きが蘇った。わずか2分余のなかに、切れ切れに試合の様子、勝って喜ぶ選手たち、スタンドに舞う座布団、表彰式が写っていた。さらに驚くべきは、伝説の名投手、沢村栄治の投球フォームが確認されたのである。

   試合の検証は野球殿堂博物館の学芸員、関口貴広さんがやった。残っている公式スコアブックの記録やスチル写真、新聞記事などと入念に照合した結果、第1回の優勝決定戦に間違いないことがわかった。この時期の野球の、動く映像は初めての発見である。

   なによりも沢村だ。写っているのはたった1球だが、背番号14と力強いフォームが完全に捉えられていた。このとき19歳。初のノーヒットノーランを達成した巨人エースの全盛期の姿だ。2年前の日米野球ではベーブ・ルースらを相手に三振の山を築いていた。

   スチル写真に残る沢村は左足を高くあげているが、実際のフォームは違った。足を高くあげず自然に踏み込んでいる。この試合を見たという87歳の男性が「このフォームだ」といっていたのには笑った。まだ9歳だったはずだから。

   慶応大学スポーツ医学研究センターの石橋秀幸さん(研究員・元広島トレーニングコーチ)が解析した。まず、並外れた下半身の強さを感ずるという。投げ終わったとき左の膝が真っすぐに立っている。下半身の筋力とバランス感覚に優れていないとできない。「それで速い球を投げていたんですね」

   この試合には23人が出場していた。ほとんどが10代から20代はじめ。時代はきな臭さを増していた。この年には2・26事件、翌昭和12年には日中戦争、さらに16年には太平洋戦争へと進む。23人のうち21人が出征し、沢村を含む5人が戦死。無事に戻っても多くが野球を続けられな かった。

召集され手りゅう弾投擲兵・・・台湾沖で輸送船撃沈・戦死

   沢村のひとり娘、酒井美緒さん(70)に父の記憶はない。最後に出征したとき生後3か月だった。いまも父の写真を肌身離さず持っているが、父の動く姿を初めて見た。「涙が出そう。ああ、生きている」

   沢村は都合3度応召している。名投手に課せられたのは手りゅう弾の投擲だった。野球のボールより3倍も重い。これの多投で肩を壊した。昭和18年に巨人に復帰したが、成績は0勝3敗で巨人を解雇されている。19年に3度目の応召で南洋へ向かう途中、台湾沖で輸送船が沈められ帰らぬ人となった。

   スポーツ評論家の玉木正之さんも興奮していた。「伝説の14番沢村の動いている映像ですからね。投げ方は稲尾(和久投手・西鉄)に似ている。いい投げ方です」

   沢村賞は先発完投型投手に与えられる最高の栄誉だ。松坂大輔、ダルビッシュ有、前田健太、田中将大・・・受賞者はみな日本を代表する投手だが、だれも沢村のフォームに似ていない。似ているとすればたしかに稲尾だ。稲尾はもう少し上半身の力を感じさせたが。もうひとつ、「左ひざが真っすぐ」という石橋さんの指摘を、若い選手たちがどう受け止めるかも、ちょっと楽しみである。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2015年6月11日放送「幻の"『日本シリーズ』~フィルムからよみがえる選手たち~」)

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