2024年 4月 17日 (水)

「サバイバーズ・ギルト」犠牲になった同級生と成長してきた気仙沼・階上中学校あの年の卒業生たち

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   東日本大震災で気仙沼市階上地区は家屋の4割が全壊し、200人以上が亡くなった。10日遅れで行われた階上中学校の卒業式では、57人の卒業生から3人が欠けていた。卒業した生徒たちは3人への思いを胸に、今年、20歳の成人式を迎えた。彼らの5年間はどのようなものだったのか。

遺体で見つかった無二の親友・・・彼女の制服で高校通学

   滝田真央さんは亡くなった三浦美穂さんと無二の親友だった。祭りの扮装で頬を寄せ合う二人の写真がある。同じ高校へ進学するはずだった。遺体があがった時、「子どもだから」と会わせてもらえなかった。「本人に、体に会いたかったです」。以来5年間、美穂さんと向き合い続けてきた。

   「背負っている感じ。(高校へ)行きたいのに行けなかった。その分を私たちがちゃんとやらなきゃと」。美穂さんが着るはずだった制服で登校した。学校行事に部活に精一杯の高校生活を送った。「よく『死ね』というでしょ。あの言葉が嫌い。泣きながらキレちゃったことがある」

   高校を卒業して仙台の専門学校へ進んだ。忙しい日々の中で、美穂さんを思い出すことが徐々に減っていると感じている。そんな時、昔のDVDを見る。流された3人が写っている。「忘れたくない。つらい思い出だけど」。4月から写真館で働く。「大切な記憶を残す仕事」を選んだ。

   横浜の短期大学校に通う高橋駿さんは、港の水産会社で働いていた父の正弘さん(当時45)を失った。被災直後と卒業式の駿さんの映像があった。「親がダメらしい」。その父が見つかったのは卒業式の1週間後だった。棺に入れて、火葬のボタンを押した瞬間、「もう泣いてもいいんだ」と本気で泣いた。

   高校ではラグビーに没頭して父を考えないようにした。遺影を見るのも嫌だった。ようやく向き合えるようになったのは、横浜へ来てからだった。自炊で魚をさばく包丁使い、時に弁当を作ってくれた姿、「教えてくれたことが体に染み付いている」

   4月には宮城に戻って港の物流会社で働く。父と同じ海の仕事だ。中学の卒業式に用意した父へのメッセージには、「親父、おれの目標でいてくれ。初めて思った。あんたの息子でよかった」と書いていた。

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