2024年 3月 19日 (火)

浅田真央「最高の演技をして終わりたい」ベテランになって知った「休みながら滑る」

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

   女子フィギアスケートのシーズン最後となる世界選手権は7位に終わったが、そこにはいつもの深刻そうな浅田ではなく「笑顔の真央ちゃん」がいた。「クローズアップ現代+」にもこう話す。「まだまだ自分がやりたい演技、選手として滑れると思うし、挑戦していることが自分は嬉しい」

   休養中の昨年(2015年)2月、浅田は東日本大震災の被災地・宮城県石巻市にいた。仮設住宅での暮らしを余儀なくされながらも、リンクに向かう子供たちのなかに、津波で祖母を亡くした少女がいた。彼女の作文に「おばあさんがみているからいっしょうけんめいえがおでがんばる」とあった。読んだ浅田はこう話しかけた。

「天国に行って姿は見えないかもしれないけど、たぶんいつも一緒にいると思うし、(あなたが)頑張ってる姿を見ているだけでたぶん喜んでいると思うから。頑張ってほしいなって思います」

   子供たちのひたむきな姿が浅田の心を動かした。復帰を表明したのはそれから3か月後のことだった。

やっと納得できた「練習も疲労回復も以前のようにはいかない」

   浅田が競技復帰で掲げた目標は「最低でも復帰前の状態に戻すこと」。しかし、1年間のブランクの影響は想像を超えていた。氷に乗ってたった15分しかたっていないのに、疲れを感じて「ちょっと休憩しとこう」とイスに座り込んでしまった。「小さいころは何時間でも滑りたい放題滑ってたけど、今はちょっと考えながら滑ってる」と浅田は話す。

   25歳。ベテランと言われる年齢に達し、疲労の回復が思うようにいかないらしい。膝や腰に痛みも感じ、練習後のストレッチにもこれまで以上に時間をかけるようになった。

   シーズンが始まってからも試行錯誤は続いた。練習不足がたたって感覚にズレが生じミスを連発する。復帰前の演技には遠く及ばなかった。昨年末の全日本選手権でも感覚は戻らず、復帰の選択は正しかったのか迷いが生じた。「自分の思うような演技ができなくて、なぜか自分でも考えてしまって悩んでしまって、結構悩みの方が強くなってしまった」

   そんな浅田はある覚悟を胸に家族を呼び寄せた。NHK杯(2015年11月)でのことだ。「最高の演技をして『笑顔』で引退しよう」と心に決めていたが、結果は3位で浅田に「笑顔」はもどらなかった。「自分の滑りは最後までできたと思ったけど、『ちょっと待てよ、これが最後の演技だったら、自分が納得しないだろうな』と思って。終わるんだったら、最高の演技をして終わりたい」

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中