偉大な日本人の偉大な行為 こんな人がいたと感動!
 〈ドイツが愛した日本人 佐々木蔵之介が巡る、ある医師の物語〉 (日本テレビ系、読売テレビ制作)

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   1908年生まれで1946年3月8日に没。戦前のベルリン・フンボルト大学に留学し、放射線医学を研究していた日本人医師の肥沼信次の知られざる偉業を辿った佐々木蔵之介のルポである。杉原千畝のビザといい、この肥沼の献身といい、偉大な日本人がいたものだ。
   ナチスドイツのポーランド侵攻以後、ひたすら学問に没頭していた肥沼信次は、戦況悪化で在ドイツ大使館のスタッフと一緒に帰国するはずだったが1人残る。当時、世界最先端のフンボルト大学の教授にまで上りつめる寸前に、戦火のために叶わなかった肥沼は、ドイツ降伏後にソビエト軍によって、ヴリーツェンの町に蔓延していた悪魔の伝染病なる発疹チフスの治療に当たるよう命令される。
   医師もいない、薬もない、病院でもないところに、藁を敷いて虱だらけで寝かされていた患者たちは次々死んでゆく。昼夜を問わず1人で診察治療する肥沼は、やがて本人もチフスに罹患して死亡。最期の言葉は「もう1度、日本の桜が見たかった」だという。市長始め学校の子供たちにも彼の功績は教えられ称えられていて、立派なお墓も作られている。肥沼のことを筆者は初めて知った。
   佐々木はザクセンハウゼン収容所(大量殺戮の実験場)や、ベルリン大聖堂や、ベルリンの壁に最初の絵を描いた画家や、色々と訪ね歩く。シャイなのかカメラ目線の出来ない佐々木は、視線を落として話すので少々訴求力が弱いが、事実の重みに助けられた。(放送2017年2月5日15時~)

(黄蘭)

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