近ごろ「フライデー」にスクープがない2つの理由―AKB48後遺症と現場に行かないカメラマン
ノンフィクションライター「食い詰め時代」仕事ない、媒体ない、蓄えない・・・
私は山田太一という脚本家は天才だと思っている。『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』、なかでも鶴田浩二主演の『男たちの旅路』は素晴らしいドラマだった。その山田も83歳になり、今年1月(2017年)、自宅を出たところで倒れ、意識不明のまま救急車で搬送されたという。
脳出血で、倒れてから3日間の記憶が全くない。退院したのは6月で、言語機能は回復しつつあるが、脚本を執筆する状態ではないようだ。テレビも見る気力がわかず、ひとりで散歩に出ることもかなわないという。次の作品を書いて、それから仕事を辞め、遊ぼうと思っていたが、<「人生、なかなか思い通りにならないですね」(山田)>
山田はこう語っている。<「人生は自分の意思でどうにかなることは少ないと、つくづく思います。生も、老いも。そもそも人は、生まれたときからひとりひとり違う限界を抱えている。性別も親も容姿も、それに生まれてくる時代も選ぶことができません。
生きていくということは限界を受け入れることであり、諦めを知ることでもあると思います。でも、それはネガティブなことではありません。
諦めるということは自分が"明らかになる"ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います」>
山田のような高名な脚本家は、つらいだろうが、書けなくなっても生活に困ることはないだろう。じっくり養生して、書きたいものがあったら口述でもできるかもしれない。だが、ノンフィクション・ライターはそうはいかない。
松田賢弥という優れた記者がいる。私が週刊現代編集長時代に小沢一郎批判キャンペーンを続け、その後、週刊文春で小沢の妻から後援者にあてた「離縁状」をスクープした男である。小沢と同じ岩手県の出身で、東北人らしく黙々と地を這うような地道な取材をしてきた。その松田が今年の3月初め、2度目の脳梗塞で倒れた。虎の門病院に入院して手術をしたが、左手に重い後遺症が残った。現在、リハビリを続けているが、言葉もスムーズには出てこない。時々ふっと記憶を失うことがあるという。
私が見る限り、もう一度物書きとして再起できるかというと、かなり難しいかもしれない。そのうえ、彼には再婚した妻との間に成人式近くの子供がいるが、脳梗塞になる直前に離婚していたのだ。離婚に至る夫婦の間には、いろいろなことがあったのであろう。子供に会いたいと彼はいうが、離婚後、一度も会ってはいないそうだ。元妻も顔を出さない。地元には90歳を超える母親がいるが、もはや彼が身を寄せられる場所ではない。
あまり人付き合いのいいほうではなかった。親族との付き合いも疎遠であった。週刊現代や週刊文春の編集者たちは退院後もカンパしてくれたりと、何かと面倒を見てくれてはいるが、60を過ぎた松田の老後は、大変であろうと思わざるを得ない。
それでなくともノンフィクション・ライターの老後は生きがたい。私はそうしたケースをいやというほど見てきている。若い時は花形ライターとしてもてはやされ、稼ぎもかなりのものがあった。しかし、当然ながら、この仕事には退職金もなければ、年を食ったからといって原稿料が上がるわけでもない。有名なノンフィクション賞をとり、何冊も本を出したが、そのほとんどが絶版になっているから、印税もほとんどない。出版社は、ノンフィクションは売れないからといって、そうしたライターたちの支えになる雑誌まで潰してしまった。
長い時間をかけて資料を漁り、読みこみ、関係者を取材してまとめても、初版はせいぜい数千部。重版されることは稀である。今のままではノンフィクションなど書こうという人間はいなくなってしまう。それでもいいと出版社はいうだろう。しかし、70年代初めに起きたノンフィクション勃興期を知っている世代としては、今の惨状を少しでもよくするために何ができるのか、出版社はもちろん、現場の編集者たちにも真剣に考えてほしいと思う。
出版社は、執筆する人間がいて成り立つこと、今更いうまでもないが、そんなことさえ忘れているアホな経営陣がいることは間違いない。松田のようなノンフィクション・ライター一人助けられなくて、出版社だとか編集者だとかぬかすな! 彼を病室に送りながら、「ノンフィクション・ライター死んだ。出版社も死ね」そんな言葉が浮かんだ。