難民50万人がバングラデシュに流入 スー・チー氏はどう動く?
アジアで深刻な人道危機が起きている。ミャンマーに住むイスラム教徒のロヒンギャ族が故郷を追われ、50万人以上がバングラデシュに流入。国境付近の難民キャンプに、女性や子供、老人たちが暮らす。そこには「村を焼かれた」「家族を殺された」の声があふれる。ノーベル平和賞のアウン・サン・スー・チー氏が民主化を進めているはずの国で発生した虐殺と迫害。国際社会はどうするのだ。
ロヒンギャはミャンマー西部のラカイン州に100万人いるといわれるが、ミャンマー政府は国民と認めずに不法移民扱いし、軍とロヒンギャ武装勢力が衝突をつづけてきた。
国境の川に近いコックスバザールの難民キャンプにカメラが入った。
今は雨期、竹とビニールの簡易テントで、環境は劣悪だ。支援が追い付かない。国連の広報担当者は「水、食料、避難場所、薬、あらゆるものが不足している」と話す。日赤医療センターの苫米地則子さんは「すぐに感染する危険な状態にあります」という。
現地の病院にいるNHKの青山悟記者は「1日100人を超す人が診察を受けますが、医薬品やベッド不足が深刻です。負傷者が床にマットを敷いて寝ています」と報告する。
夫をミャンマー軍に殺され、娘3人と逃げてきたアノワラ・ベガムさんは、支援のわずかなコメや通りがかりの人からの食品などで命をつなぐ。「どうやって暮らしていけばいいのか」と不安がいっぱいだ。
バングラデシュの受け入れも限界で、永住は認めず、帰還を求める立場をとる。難民は戻りたくても戻れない。
ネットにはミャンマーの警察官がロヒンギャの人に暴行する映像が流れる。今年(2017年)8月下旬には軍が武装勢力に大規模な掃討作戦を仕掛け、緊張が頂点に達した。
国連のグテーレス事務総長は、無差別攻撃の情報を憂慮して「ミャンマー政府は行動するべきだ」と促したが、いっこうに改善しない。泥棒に泥棒をするなというようなものかもしれない。ミャンマー政府は無差別攻撃を否定し、「ロヒンギャの武装勢力が自ら村に火をつけた」と主張している。
難民の証言は正反対だ。ミャンマー軍による暴行を訴える人があふれている。「ミャンマー軍が火をつけて回った」「夜中に村に入ってきて、マシンガンを撃ち続けた」「住民全員の追放を実行している」という。
上智大の根本敬教授は「映像は正直で、迫害は間違いない。ミャンマー軍だけでなく、正体不明の民兵も武器を使っている」と指摘する。
民主化でかえって差別進む
ロヒンギャはイギリス植民地時代にバングラデシュからミャンマーに移動した(させられた?)といわれる。旧日本軍が仏教徒を、イギリスはイスラム教徒を武装させたのが対立の始まりだ。侵略者に振り回された歴史がある。
ミャンマーの90%は仏教徒。イスラム教への偏見は根強く、自分たちより肌が黒く、掘りの深いロヒンギャに「バングラデシュから入った移動集団」というイメージが行き渡り、国内に過激な排斥思想が広がる。民主化によりヘイトスピーチの自由も進んだことからも差別意識が膨らんだ。
ミャンマーには1991年のノーベル平和賞受賞者で国家顧問として政府をリードするアウン・サン・スー・チー氏がいる。「軍の暴力に何もしないのか」「なぜ放っておくのか」といった非難が向けられる。平和賞取り消しを求めるサイトには40万人の署名が集まった。同じ平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんはスー・チー氏に行動を呼びかけた。
軍の力が強く、治安維持の実権を握る。スー・チー氏の側近は「長期的視点に立って政策を進めようとしている」と弁明する。スー・チー氏はアナン元国連事務総長を迎えて諮問委員会を設立したが、その委員会が権利拡大を勧告した翌日に衝突が発生した。
スー・チー氏は9月19日(2017年)初めて「短期間に解決しようとすると、複雑さが増す」と発言した。しかし、時間をかけられるほどなまやさしい状況ではない。
根本教授は「スー・チー氏が国籍を与える方向で取り組むと私は見ている。彼女が退いたら、だれもロヒンギャのことを考えない。スー・チー氏をバックアップするのが国際社会の責務だ」と話す。取り組まなければ、本当にノーベル平和賞の資格はない。
武田真一キャスターは「難民50万人にミャンマー政府がどう向き合うのか注視していきたい」というが、日本政府の対応も見極める必要がある。ミャンマーには経済援助もし、企業も進出している。人道援助以上は関与も批判もせずに、影響力を行使しないのか。
企業にしても「ビジネス最優先」「引き上げれば中国にうまいことやられる」などというばかりで知らんぷりしてすます気だろうか。カネさえもうければいいというのでは品性を疑われる。