2024年 4月 24日 (水)

平昌パラリンピックの超人アスリート2人 悩んだ末のメンタルの強さがすばらしい

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   平昌(ピョンチャン)パラリンピックが9日(2018年3月)に開幕する。NHKが夏の陸上競技との二刀流で挑む山本篤と、元プロで事故から再起した小栗大地のスノーボーダー2人をとり上げた。

   山本篤選手(35)は高校生だった17歳のときに左足を切断。義足で夏のパラリンピックに出場し、北京やリオ大会の走り幅跳びや400メールリレーでメダルをとった。冬季パラリンピックをめざしたのは「新しい刺激を求めた」という。それがスノーボードだった。

普通を超えるため「カッコいい」にこだわる

   しかし、標高差220メートルを滑り降りる冬季競技はスピードだけでなく体重移動がポイントで、片方の膝を使えないとバランスをとりにくい。山本自身が「陸上は筋肉の爆発、スノボは力の方向を雪面に伝えなければならない」と話す。二刀流は容易ではない。練習中に転倒して右腕をけがし、2か月間雪上練習ができなかったこともある。「リスクはあるけど、やる価値がある。それが僕の生き方」と考えているそうだ。

   山本が強く意識するのは、義足を見せて滑ること。それで「カッコよくなければだめ」との思いだ。表彰台で外国人選手が笑顔なのに自分は仏頂面で立つ写真を見て、「自分はカッコよくないな」と思ってからは、写真を意識してサングラスをかけ、義足を前面に出すフォームに変えた。

   おととし(2016年)10月に東京・渋谷の街中に設けたピットで跳躍するイベントがあった。このフォームで跳んだ山本に「うわー、すごい」「カッコいい」の歓声がわいた。「おおーって思ってもらえたら一番いい。普通を超えていかないといけない」と山本は言う。

   山本を10年以上撮り続ける写真家越智貴雄さんは「スノボをやると聞いたときはびっくり。それも平昌に出場するとは思いませんでした。開拓者としてピカ一です」と語る。

   小栗大地選手(37)は障害を負う前、大学生のころからスノーボードを本格的に始め、ニュージーランドにも武者修行に出かけ、25歳でプロになった。ワールドカップにも出場し、力強いターンは世界トップクラスといわれた。30歳で就職した後も競技は続けたが、意欲が低下し「とりあえず大会に出ているだけみたいだった」という。仕事中に鋼材束の下敷きに。「どかすと右足がなかった」という事故の直後から「義足でスノボをやればいいかな」と思ったそうだ。

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