2018年 5月 28日 (月)

原敬と似ていなくもない平成改憲論首相の人気下落―政治家は没落時に「我田引水」になるのか?
<歴史秘話ヒストリア 平民宰相 暗殺の真実>(NHK総合)

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   東京駅南口の床に小さな印がつけられている。大正10年の11月4日午後7時20分に、立憲政友会で時の宰相・原敬が、中岡艮一に暗殺された場所である。原敬は京都へ行くために東京駅から列車に乗ろうとしていた。原は初めての平民宰相で、明治維新以後に藩閥によって行われていた政治を「平民」が取り戻した総理大臣だった。

   享年65歳。暗殺者の中岡は山手線大塚駅の転轍手(レールの分岐器を扱う仕事)で、なんと1980年(昭和55年)まで生きていた。はるか昔の歴史上の話ではなく、こうした大事件の当人がその辺に生きているという事実には驚く。77歳で没した。

   原敬の功績とか政治姿勢の説明が縷々あったが、明治以降の要人暗殺の面から見ると、後の五・一五事件や二・二六事件などのクーデターの始まりのようにも見えるが、そうではない。平民宰相らしく国民の意思を尊重した政党政治を根付かせようとして挫折したのだが、人気が下落して原敬の自宅に群衆が押し掛ける騒動が起こる。平成も終わりに近い現在、改憲論者の首相が傲慢やりたい放題の果てに、人気下落で総辞職寸前という状況と似ていなくもない。

   原敬は鉄道網の設置に熱心で、「我田引水」をもじって「我田引鉄」と揶揄された。新幹線の設置の時に、大野伴睦が何にもなかった場所(自分の選挙区)に「岐阜羽島駅」を強引に作らせたのを思い出す。時は変われど、政治家の没落時には「我田引水」となるのか。(放送2018年3月16日20時~)

   (黄蘭)

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