2024年 4月 17日 (水)

『障害者』に子どもつくらせるな!戦後50年も続いたナチスまがいの優生保護法―強制不妊手術の被害者1万6000人

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   「国の法律によって不妊手術を強いられた」と、国に謝罪と補償を求めて提訴する動きが始まっている。日本国憲法で基本的人権の擁護をうたいながら、施行(昭和22年5月3日)の翌年に優生保護法ができた。人口を抑制策し、不良な子孫の出生を防止するとして、国際社会からの批判を受け平成8年に廃止されるまで50年も生き続けた。現在、わかっているだけでも、子ども時代に断種や不妊手術を強制された人は1万6000人超にのぼる。

   岩手・仙台市に住む飯塚淳子さん(70代・仮名)は、公園で母子が遊ぶ姿を眺めながらこう呟いた。「子どもがいたらこういう家庭だろうなとか、いろんな思いがあります。やっぱりうらやましい。戻れるなら16歳に戻してほしい」

   家庭が貧しく、満足に学校に行けなかったため知能テストの点数が低く、中学生の時に軽度の知的障害とされてしまった。16歳のある日、何も知らされないまま診療所へ連れて行かれ、麻酔をかけられて不妊手術をされてしまった。あとになって、両親の会話から子どもが産めなくなった事実を知った。

   20歳で結婚したが、子どもが産めないことから夫婦関係が悪化して離婚。30代で再婚したが、夫に不妊手術の事実を告げると、夫は家を出て行った。50年余り苦しみを抱え続けてきた飯塚さんに、最近、医師から知的障害がなかったことを告げられた。

知能テストの成績が悪い、非行を繰り返す・・・本人の同意なく断種・不妊手術

   人権を踏みにじった優生保護法の成立の背景には、敗戦後の大陸からの多数の引揚者や出産ブームによる人口の急増があった。その対策として重視されたのが、中絶の容認と障害者の不妊手術や断種だった。法律の国会提出で中心となった谷口弥三郎参院議員の発言が残っている。「本人の同意がなくても優生手術を行おうとするものであります。悪質の強度な遺伝因子を国民素質に残さないようにするためには是非必要であると考えます」

   法律は成立し、優生思想に傾斜した強制手術が全国で始まった。知能テストの結果が悪かった人、非行を繰り返す人は、ウムを言わさず拘束してもよいという通達まで国から出ていたという。

   当時の状況をよく知る宮城県の元男性職員によると、地域ぐるみで対象者を探したようだ。障害者施設や病院だけでなく、「学校や民生委員、警察、親が通告する場合もあった。どうも頭が悪いんじゃないかとか、変な癖があって困っているとかだった」

   取材したNHK社会部の福田和郎記者によると、強制不妊手術は47都道府県すべてで行われ、ピークは昭和20年代~30年代という。国が把握しているのは手術を強制された人数だけで、だれが手術を受け、今どう過ごしているかまったく分かっていない。

   優生思想を研究している早稲田大学の森岡正博教授は、「当時としては合法だったと言われるかもしれないが、悪法だったことは間違いありません。本人の同意なしに強制的に手術され、子どもを産めない体にされた。ここに悪が凝縮されています」と断言する。

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