2024年 4月 18日 (木)

日大アメフト内田前監督が語っていた本音「宮川はよくやった。俺がやれって言ったって書いていいよ」

芸能人にもの凄くモテた西城秀樹!年上・十朱幸代と交際、松田聖子は見舞い、山口百恵はラブレター

   週刊現代が田原総一朗を使って自民党の二階幹事長をインタビューしている。だが、失礼だが、田原老いたり、と思わざるを得ない、内容のないインタビューである。

   ここで書き写すほどのことなど何もない。二階は安倍の三選を支持している(本音かどうかは分からないが)。中国や韓国とは仲良くしましょう。それだけだ。こんなものを今なぜやらなくてはいけないのか。週刊現代の編集部の意図は分かるが、インタビュアーの人選を間違えている。

   西城秀樹が5月16日に亡くなった。私には「YOUNG MAN」のY.M.C.A.くらいしか印象にないが、享年63というのは若すぎる。全身で歌い踊る姿は、どう見ても「元気印」人間だったように見えたが、40代後半から2度の脳梗塞を発症し、とくに2011年の2度目の脳梗塞は重く、リハビリも厳しいものだったようだが、週に4、5日、3時間のリハビリをやり続けた。

   彼には、もう一度「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」を歌って踊れるようになりたいという目標があり、最後のリハビリとなった4月25日も、いつも通り笑顔で帰っていったと、週刊新潮でジャパンリハビリワークアウトの大明竜八総院長が話している。

   しかし、その晩に意識を失い、病院に搬送されたが意識が戻らなかったという。2001年に18歳年下の美紀夫人(45)と結婚し、3人の子供がいる。若い頃からトレーニングは欠かさなかったそうだが、一方で酒は飲み、たばこも1日3、4箱吸っていたそうである。84年には髄液が漏れて脳圧が下がる低髄液圧症候群という病気で入院し、一時は面会謝絶になるほどだったという。

   さらに、糖尿病でインシュリンで治療していた。コンサートで激しく動き、その後の打ち上げで爆食いすると、血糖値の上がり下がりの幅が大きくなりすぎるそうだ。

   秀樹で忘れられないのは、私も好きだった12歳年上の十朱幸代と交際していることが話題になった時だった。私は激しく秀樹に嫉妬した。週刊新潮によれば、松田聖子がこっそり病院に見舞いにきたり、山口百恵からラブレターをもらったことがあったという。

   4月14日、栃木県足利市で開かれた「同窓会コンサート」で5曲歌ったのが最後のステージになった。合掌。

元木昌彦プロフィール


1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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