2019年 7月 20日 (土)

日大アメフト内田前監督が語っていた本音「宮川はよくやった。俺がやれって言ったって書いていいよ」

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   「本当の意味で全共闘を作ったのは日大です。これは文句なしに本当に。単に日大全共闘というのは武装した右翼とのゲバルトに強かっただけじゃないです。

   本当に、あのね、学生大衆の正義感と潜在能力を最大限発揮した、最大限組織した、ボク、あれは戦後最大の学生運動だと思います。今でも、あれ、考えるとナミダ出てきます」

   2015年1月30日に開かれた「日大930の会公開座談会」で、東大紛争のリーダーだった山本義隆・元東京大学全学共闘会議代表は「日大闘争」をこう評価した。

   日大を私物化し、権勢をふるっていた古田重二良理事長に対して、22億円の使途不明金問題をきっかけに学生が決起し、1968年9月30日に開かれた日大両国講堂での全学集会で、古田を辞任に追い込んだのである。

   古田は柔道部出身で、現在の田中英寿理事長は相撲部出身。ともにカネと強面を表面に出して学内を牛耳ってきた。その田中の後継者といわれているのが、今回、不祥事を起こしたアメリカンフットボール部の内田正人前監督である。

   5月6日、日大対関西学院大の定期戦で、味方にパスを出した関西大のQB(クオーターバック)に、日大の宮川泰介が背後から激しいタックルをかけ、QBは全治3週間の大ケガを負った。

   この危険なプレーを指示したのが内田監督ではないかといわれたが、否定したまま雲隠れし、試合から2週間後、ようやく関学大を訪れ謝罪した。だが、タックルを指示したのかについては何もいわず、かえって関学大側の怒りを買ってしまったのである。

   すると、当の宮川選手自身が会見を開き、コーチから「相手のQBを1プレー目で潰せば(試合に=筆者注)出してやる」「相手のQBがケガして秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう」といわれ、本当にやらなくてはいけないのだと追い詰められ、あのプレーをしたと告白した。

   私も仲間と居酒屋で飲みながらテレビを見ていたが、スポーツマンらしい潔さで、淀むことなく受け答えしている姿に、彼は真実を語っている、そう思った。

   あわてた内田側は、翌日、急遽会見を開いたが、内田前監督は「信じていただけないと思うが、私からの指示ではない」と再度否定した。井上奨コーチも「監督から僕に『QBにけがさせてこい』という指示はなかった。私は宮川選手に対して『QBを潰してこい』と言ったのは、真実です」と、監督を庇う発言に終始した。

   この会見が単なる弁明のための会見だったことが明らかだったのは、これをセットした日大広報のバカな対応だった。記者が質問しているのに遮り、「これ以上続けても時間の無駄」だといい放ったのである。週刊新潮が報じているが、日大には2016年に日本初を謳って開校した「危機管理学部」があるというのが笑える。おそらく、古田体制崩壊以来の日大最大の危機に、やること為すことメディアの反発を買うのでは、この学部の廃止は避けられないのではないか。

   週刊文春は、試合後にマスコミの囲み取材で内田が語った言葉を掲載している。週刊文春独自の取材ではない。その時、どこかの社の人間が録音していたのを借りたか買ったかしたのであろう。

   そこでは「内田が(反則を=筆者注)やれって言ったって(記事に書いても)、ホントいいですよ、全然」と「全面自供」(週刊文春)している。また、宮川選手の反則プレーを「こんなこと言っちゃ悪いんだけど、宮川はよくやったと思いますよ。もっといじめますけどね。だけど、そうじゃなかったら、関学みたいなチームに勝てないでしょ。(中略)だから、そろそろ良くなるんじゃないですかね、宮川。法律的には良くないかもしれないけど、そうでしょ」

   また、「あれぐらいラフプレーにならないでしょ」とまでいっているのである。内田は会見で、宮川が反則したプレーの瞬間は「見ていなかった」と答えている。こんな嘘が通ると思っているのだろうか。会見が終わると、内田は体調が悪いと病院へ逃げ込んでしまった。

「田中英寿理事長」まるで他人事できょうもパチンコ三昧

   なぜ、パワハラの権化といわれた日本レスリング協会の栄和人強化本部長も、今回の内田も、事が起きると自らは表に出ないで、こそこそと逃げ隠れしてしまうのであろう。こんな連中にスポーツマンシップを語る資格など全くない。

   週刊文春はさらに、日大が全額出資している「株式会社日本大学事業部」という会社についても追及している。主力業務は大学や病院などの施設の清掃、学内における自動販売機の設置などで、取締役に内田の名前もあるという。ここは別名「日大相撲部」といわれていて、田中理事長率いる相撲部の関係者が複数採用されている。利益の大半は日大への寄付として処理されていて、「現体制の集金マシン」(週刊文春)になっているそうである。

   週刊文春はうまい手を使ってスクープにこしらえあげたが、会見で記者たちから内田監督はあの時こういっていたではないかという質問が、なぜ出なかったのであろう。自分たちはしがらみがあって内田に突っ込めないから、週刊文春さん、代わりにやってよということだったのではないか。府抜けは日大の上層部だけではない。

   週刊文春は内田が監督辞任を発表した翌日、パチンコに興じている田中理事長の姿を撮り、グラビアに掲載している。学生数7万人、国から92億6000万円もの補助金を受けているマンモス大学が、この惨状である。日大の学生諸君、いまこそ第二の日大闘争を起こし、理事長たちには退陣してもらおうではないか。

安倍首相もはや辞任か解散か・・・中村時弘・愛媛県知事のボディーブローが効いてきた

   日本中が「嘘つきは安倍の始まり」現象に包まれ、嘘をついた者勝ちの様相 を呈している。日大の田中理事長は、日大関係者にいわせると、「余計なことはせず、ダンマリを決め込んでいれば、いずれ問題は風化していく」という処世術を権力闘争の中で身に着けたというが、そのまま安倍首相にも当てはまる。

   週刊文春と週刊現代が、その安倍に対して敢然と立ち向かっている中村時広愛媛県知事について触れている。週刊現代によれば、1960生まれ。父も松山市長を務めていた。慶応大学から三菱商事。だが、5年目に三菱を辞し、母親の強い反対を押し切り、87年に県議会議員選挙に出て当選する。

   90年に衆院選に無所属で出馬する。ここには自民党の現職が2人いたので、自民党の公認をもらえず、派閥のドンであった安倍晋太郎に演説をしてもらおうとしたが、ドタキャンされてしまう。安倍一族とはこうした因縁があった。その後、日本新党で当選するも、96年には落選。99年に松山市長選に出て当選し、3期務めて県知事になる。彼は「既存のものを壊すのが大好き」がモットーだという。

   県知事が総理と対峙し、総理の嘘を暴く姿は、多くの国民の支持を集めている。本人に国会へ来て証言をしてもらいたいものだが、自民党側ががんとして認めない。だが、週刊文春によると、安倍首相にボディブローのように効き始めているという。

   中村知事が国会に提出した新文書には、2015年3月25日、安倍は加計孝太郎理事長と15分程度会い、今治市に設置する獣医学部の話を聞かされ、「そういう新しい獣医学部の考えはいいね」といったとある。当然、安倍は野党の質問に、そんな事実は確認できないと突っぱねたが、その後、周辺には「本当に会っていたらどうしようかね」と漏らしたそうである。

   不当に拘留されていた森友学園の籠池夫妻の保釈が決まった。タイミングよく、森友問題の交渉記録は破棄していたと佐川理財局長(当時)がいい張っていた文書が国会に提出された。

   前門の虎、後門の狼。安倍晋三・昭恵夫妻がどこで自分たちの嘘を認めるか。それとも再び、解散・総選挙に打って出るのか。総裁選までには「結論」が出そうである。

芸能人にもの凄くモテた西城秀樹!年上・十朱幸代と交際、松田聖子は見舞い、山口百恵はラブレター

   週刊現代が田原総一朗を使って自民党の二階幹事長をインタビューしている。だが、失礼だが、田原老いたり、と思わざるを得ない、内容のないインタビューである。

   ここで書き写すほどのことなど何もない。二階は安倍の三選を支持している(本音かどうかは分からないが)。中国や韓国とは仲良くしましょう。それだけだ。こんなものを今なぜやらなくてはいけないのか。週刊現代の編集部の意図は分かるが、インタビュアーの人選を間違えている。

   西城秀樹が5月16日に亡くなった。私には「YOUNG MAN」のY.M.C.A.くらいしか印象にないが、享年63というのは若すぎる。全身で歌い踊る姿は、どう見ても「元気印」人間だったように見えたが、40代後半から2度の脳梗塞を発症し、とくに2011年の2度目の脳梗塞は重く、リハビリも厳しいものだったようだが、週に4、5日、3時間のリハビリをやり続けた。

   彼には、もう一度「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」を歌って踊れるようになりたいという目標があり、最後のリハビリとなった4月25日も、いつも通り笑顔で帰っていったと、週刊新潮でジャパンリハビリワークアウトの大明竜八総院長が話している。

   しかし、その晩に意識を失い、病院に搬送されたが意識が戻らなかったという。2001年に18歳年下の美紀夫人(45)と結婚し、3人の子供がいる。若い頃からトレーニングは欠かさなかったそうだが、一方で酒は飲み、たばこも1日3、4箱吸っていたそうである。84年には髄液が漏れて脳圧が下がる低髄液圧症候群という病気で入院し、一時は面会謝絶になるほどだったという。

   さらに、糖尿病でインシュリンで治療していた。コンサートで激しく動き、その後の打ち上げで爆食いすると、血糖値の上がり下がりの幅が大きくなりすぎるそうだ。

   秀樹で忘れられないのは、私も好きだった12歳年上の十朱幸代と交際していることが話題になった時だった。私は激しく秀樹に嫉妬した。週刊新潮によれば、松田聖子がこっそり病院に見舞いにきたり、山口百恵からラブレターをもらったことがあったという。

   4月14日、栃木県足利市で開かれた「同窓会コンサート」で5曲歌ったのが最後のステージになった。合掌。

元木昌彦プロフィール


1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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