2024年 4月 25日 (木)

黒柳徹子、40年前の米留学を回顧 プロポーズも受けたが「結局、私は...」

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帰国の転機は...

   黒柳自身は、「居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていた」が、ターニングポイントは1年後突然の電話で訪れた。テレビ朝日から、新番組の「メインの司会者になって欲しいという依頼」が来たというのだ。

   黒柳によれば、当時の司会者というのは男性で、女性は制服のように決まり切った「白いブラウスに紺のタイトスカートのような」服を着て、たまに相槌をうったり微笑んだり、隣に立っているだけの存在だったという。さらに黒柳は、

「テレビを見ている女性に、反感を持たれ無いように、たいがい抜擢される女性は、主婦か、主婦の経験のある人に限られていたれていた。私は、そのどちらにも当てはまらなかったので、『ダメだと思う』とテレビ朝日の人に言った」

とも明かした。このように、当初は先方のオファーを断った黒柳だが、テレビ朝日からは熱心な説得を受けたという。

「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕達は考えているんです」

   ここまで言われた彼女が考え、出した結論は、

「あと1年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的 でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない」

というものだった。

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