2024年 4月 20日 (土)

黒柳徹子、40年前の米留学を回顧 プロポーズも受けたが「結局、私は...」

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   女優の黒柳徹子が13日(2018年6月)インスタグラムを更新し、40年以上前の米ニューヨーク留学を振り返った。

「芝居を勉強するため」留学へ

   黒柳は1971年、「芝居を勉強するため」38歳にしてニューヨークへ留学。このときは、「大きいワンルームを、自分なりに仕切るスタジオという形式のアパート」に1年住んでいたという。

   写真には若かりし頃の黒柳が「アメリカらしく、大きいアームチェア」にちょこんと膝を抱えて座っている様子が写っている。すぐ隣には化粧台と楕円系の壁掛けの鏡がみえる。いつも化粧するときはアームチェアを鏡に向けて押していたそうだが、たまに向きを変えて、目の前の暖炉を前にして、

「部屋全体が見えるようにして、考え事をしてたこともあった」

という。

   「仕事を、一年休んで将来を考えるのも悪いことではなかった」と考えていた黒柳。当時、芸能界の友人からは留学に関して次のような言葉を受け取っていたそうだ。

「私なんかは、養わなきゃならない家族があって、そんなこと出来ないけど、あなたは身軽で出来るんだから、ゆっくりしてらっしゃい」(故・山岡久乃さん)
「いいね、休んどいで。でも、私は、2年は長いと思うよ、日本の芸能界は、待ってくれても1年だと思うよ!」(故・沢村貞子さん)

帰国の転機は...

   黒柳自身は、「居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていた」が、ターニングポイントは1年後突然の電話で訪れた。テレビ朝日から、新番組の「メインの司会者になって欲しいという依頼」が来たというのだ。

   黒柳によれば、当時の司会者というのは男性で、女性は制服のように決まり切った「白いブラウスに紺のタイトスカートのような」服を着て、たまに相槌をうったり微笑んだり、隣に立っているだけの存在だったという。さらに黒柳は、

「テレビを見ている女性に、反感を持たれ無いように、たいがい抜擢される女性は、主婦か、主婦の経験のある人に限られていたれていた。私は、そのどちらにも当てはまらなかったので、『ダメだと思う』とテレビ朝日の人に言った」

とも明かした。このように、当初は先方のオファーを断った黒柳だが、テレビ朝日からは熱心な説得を受けたという。

「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕達は考えているんです」

   ここまで言われた彼女が考え、出した結論は、

「あと1年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的 でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない」

というものだった。

「結婚も申し込まれたりもしていた」

   その後、日本に戻った黒柳。「その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。結婚も申し込まれたりもしていた」ことも明かした。「結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか」と、振り返った。

   このように、ニューヨーク留学時のエピソードを詳細に明かした黒柳の投稿には、

「徹子さん、素敵です 生き方も決断も素敵です」
「自分で選んで自分の道を行く!とても考えさせられました!」
「私も徹子さんみたいに生きてみたいです」
「本当に素敵な女性だな、と改めて思いました」

といったコメントが寄せられていた。

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