2024年 3月 29日 (金)

金正恩の圧勝だった「米朝劇場」第一幕!老練トランプ翻弄した34歳若造

   金正恩は稀代のペテン師である。34歳の若造が、老練なトランプを「歴史の舞台」へ引きずり出し、金体制の保証と在韓米軍の削減を世界に向かって宣言させたのである。

   秋にある中間選挙に怯え、米朝和解ができればノーベル賞受賞もあるとおだてられ、「記念メダルまで作っていた」(FLASHで池上彰が話している)トランプにとって、首脳会談をやらないという選択肢はもともとなかったのだ。

   トランプだからこの会談が実現できたことは間違いない。自分に有利になる「ディール(取引)」には前のめりになるが、その結果がどうなるかを深く考えはしない。この男のいいところと限界がよく表れた政治ショーだった。

   ニューズウイーク日本版によると、米朝の核を巡る交渉は「相互不信と裏切りの歴史でもあった」。アメリカの情報当局が北朝鮮の核開発の動きを把握したのは1984年4月だ。当初はエネルギー不足を補うためだったのかもしれない。それが証拠に、ソ連の勧めで核不拡散条約(NPT)に加入している。だが、冷戦終結と韓国の経済発展に孤立を深めた北朝鮮は、核を使ってアメリカと関係改善を図ろうと、92年1月に米朝高官協議をして、核施設の査察を受け入れた。それも、未申告施設の査察をIAEAが求めると、激しく反発してNPTからも脱退してしまう。

   ビル・クリントン時代、北朝鮮の核施設を攻撃する計画があったが、カーター元大統領が金日成と会談して、黒鉛減速炉の稼働を中止する代わりに、軽水炉建設と重油を提供することで危機を回避した。

   その後、ブッシュは北朝鮮をイラク、イランと共に「悪の枢軸」と呼び、米朝の関係は再び悪化する。オバマは「北とは対話しない」という方針を取った。しかし、これが北朝鮮の思うつぼであった。核・ミサイル開発を加速し、金正恩のいう通りなら、アメリカ本土に届くICBMと核弾頭の小型化に成功したのである。

   金正恩は核の力を最大限に利用して、経済制裁を終わらせ、金体制を維持しながら改革開放経済を実現できないか考え抜いたのであろう。それが平昌pりんピックへの参加から始まったスマイル外交である。

   金にとって非核化を段階的に進めていくことは何の問題もない。絶対譲れないのは、トランプや次の大統領が裏切り、体制を崩壊させようとした時、再び核を持てるかどうかなのだ。北朝鮮分析サイト「38ノース」によれば、核の研究開発や製造、実験に携わる人間は9000人から1万5000人に及び、核兵器は20~60個あるという。核をつくる技術はある。今ある核兵器は隠すか国外に運び出せばいい。

   共同宣言で金は「朝鮮半島の完全な非核化」といっている。オレも核を捨てるから、トランプよ、お前も捨てろということである。米朝首脳会談の第一幕は金の圧勝で終わった。

新幹線凶行・小島一朗「発達障害」早期発見・治療していれば・・・事件は起こらなかったかも

   6月9日(2018年)、東海道新幹線「のぞみ265号」車内で無差別乗客殺傷事件が起きた。女性2人にいきなり襲いかかり、凶行を阻止しようとした会社員・梅田耕太郎さん(38)がナイフで十数か所刺されて死亡した。逮捕されたのは小島一朗容疑者(22)で、犯行後、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と話しているという。

   週刊文春によると、小島は両親、とくに父親と折り合いが悪く、公立中学に進学するが、やがて不登校になってしまったそうだ。中二の時、新学期なので新しい水筒が欲しいといわれ、姉には新しい水筒、彼には貰い物の水筒を渡したら、夜中に、両親の部屋に押し入って来て、包丁や金槌を投げつけてきたことがあったと、父親が話している。

   これが決定的になり、母親が「父親との相性が悪くて困っている」と、自分が勤めている自立支援NPOに相談し、そこで預かってもらう。中学、定時制高校、職業訓練所に通い、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして、埼玉県の機械修理工場に就職し、独り暮らしを始めた。

   NPOの三輪憲功氏は、手のかからない子で、成績はオール5で4年かかるところを3年で卒業し、他人とトラブルを起こしたこともないと話す。機械修理会社の社員も、理解力が高く、人間関係も特に問題はなかったといっている。しかし、翌年、小島は退社してしまう。

   再び実家で引き籠り状態になり、家出を繰り返すようになる。その後、社会復帰を目指して昨年11月から障害者支援施設で働き始めるが、1ヵ月もしないうちに「ホームレスになりたい」という理由で来なくなってしまう。昨年末(2017年)から「自殺をする」といって家を出て、野宿をしながら長野県内を転々としていたそうだ。そして6月9日に凶行に及ぶのである。

   メディアの取材に、父親は息子のことを「一朗君」といって波紋を呼んだ。週刊文春にも「じゃあどういう言葉が正しいんですか。(記者から)『お父さん』と言われると、最初に出ちゃうのが『生物学上の生みの親』なんですよ」と答えている。

   虐待やネグレクトがあったのかという質問には、「虐待はありえない。この(夫婦の寝室で暴れた)とき、うちの子がお巡りさんに『虐待を受けている』と言ったんですよ。でも、アザとかケガはないから(警察も信じなかった)。その日が、僕が決断した日ですよ。(息子への)教育を放棄した。彼のやりたいことをやらせましょう。外の空気を吸って自立を証明しろ、と」

   以来、法事などを含めて4回しか会っていないという。「親子関係はない」「父親のことは嫌いだったと思いますよ」「取材を受けることが僕の贖罪です」と、時折笑顔を見せながら父親は話したそうである。

   特異な親子関係といってもいいのかもしれないが、実は、息子は5歳の頃に児童保育所から発達障害ではないかと指摘されていたのだ。アスペルガー症候群は発達障害のひとつで、神戸連続殺傷事件を起こした少年Aなど、凶悪犯罪を起こす少年たちに多いなどと巷間いわれている。

   私の友人で、この問題に詳しい草薙厚子氏は『となりの少年少女A』(河出書房新社)で、少年犯罪の多くは発達障害の人が犯罪を起こしたわけではなく、かえって被害者になる可能性のほうが高いと書いている。

   発達障害というのは「早期発見」と「早期治療」が重要で、家族だけで解決が難しい場合は、専門機関に相談しケアが必要となる。しかし、児童精神科医の数は全国でも60名程度で、主要大学にすらこうした分野を担う講座が常設されていないという。小島容疑者の父親も、病名を聞いたのは息子が高校生のときで、妻に「なんて病気なの?」と聞いただけで終わっているようである。

   私が聞いているところでは、発達障害の人は優秀な人が多いそうだが、集団生活がなかなか難しい人も多いようだ。最近では、企業でも発達障害の人を積極的に受け入れ、活用するところが増えてきている。

   小島容疑者も成績はよかったそうだ。両親が早期に、医師やそうした機関と相談して息子をケアしていれば、このような事件を起こすに至らなかったのではないだろうか。

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