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巨大都市を襲った直下型地震 身近にあるものが凶器となって襲いかかる

   18日(2018年6月)に大阪北部を襲った直下型地震から24時間。余震はまだ続いており、気象庁は大きな地震への警戒を呼びかけている。800万都市に最大で震度6弱で、死者4人、負傷者376人(19日午前6時半、消防庁発表)の被害を出した。4人の死は、身近に潜む危険を教えている。

4人の命を奪ったのは通学路のブロック塀と部屋の家具

   4人の死因はいずれも圧死。2人は家具、2人はブロック塀だが、どちらも不運としか言いようがない。誰が遭遇してもおかしくないほど、身近にあるものだからだ。あらためて日常を振り返る必要がある。

   ブロック塀の悲劇は、地震にはつきものだが、今回は2件とも学校関係だった。震源地に近い高槻市・寿栄小の4年生、三宅璃奈さん(9)は、自分の学校のプール脇の通学路で、倒れてきたプールの塀の下敷きになった。校門での「あいさつ運動」のために、いつもより10分早く現場に差し掛かっていたという。

   塀は、道路から1.9メートルまでがプール面の土台で、その上に1.6メートルのブロックを積んであった。そのブロック部分が40メートルにわたって、道路側に倒れ落ち、不運な三宅さんを直撃したのだった。

   高槻市は調査の結果、支えとなる控え壁もなく、建築基準法に違反していたと認めた。それでも市民は「阪神大震災でも倒れなかったのに」という。あの時の大阪府北部の震度は4だった。震度4なら倒れないブロック塀は日本全国にある。

   もう1人の安井實さん(80)は、長年小学校の見回り隊をしており、この日も見回りに向かう途中にブロック塀の下敷きになった。もし子供が通っていたら、同じ運命になっていたかもしれない。

   視聴者から「ビビット!」に届いた地震映像の中にも、地震でビル側壁のタイルが道路に降り注ぐシーンがあったが、3分前に戻すと、大勢の小学生が登校する姿があった。この状況は大阪に限らない。

   建築基準法で、ブロック塀に安全基準ができたのは1981年。その3年前の宮城県沖地震で、ブロック塀の倒壊で大量の死傷者が出たためだ。しかし、それ以前のブロック塀はいくらでも残っている。東京では1960年代のものが至る所にあるという。菅官房長官は昨日(18日)、「小中学校のブロック塀の点検」を指示した。

   大阪地震の映像を見ても、落下物の危険は常にあることがわかる。看板、割れた窓ガラス、屋根瓦、側壁タイル......。防災システム研究所の山村武彦さんは「自動販売機にも気をつけろ。また、寝室に大きな家具は置くな」という。事実、今回亡くなった2人は、家具の下敷きだった。普段の気配りでしか身を守れないということだ。

   MCの国分太一「学校は、いざという時避難所になるところでしょう。しかも通学路で」

   倉田真由美(漫画家)「人災ですよね」

   阪神大震災の経験者が2人いた。MCの真矢ミキは宝塚にいて、「震度は7とか6強だった。キャスターが全部動き出した」という。

   千原ジュニア(タレント)は「靴は困りましたね。素足で飛び出して怪我をした人が多かった。枕元に置くのは重要」という。

   大阪地方は午後から雨の予報。地震で緩んだ丘陵地では最悪の状態になる。余震がどう続くかは誰にもわからない。