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安室奈美恵にすっかり食われた小泉進次郎「沖縄知事選応援」それどころじゃなかった引退当日の『島』

   総裁選が終わった。議員票でも地方票でも、事前の予想を大きく裏切って石破茂が大善戦した。50票程度だといわれていた議員票でも73票。地方票では安倍221票、石破は181票とほぼ互角だった。あれだけ地方をこまめに回り、締め付けをしてきた安倍陣営だったが、想像以上に安倍への嫌悪感が地方の一般党員たちに強かったということが証明されたことになる。

   小泉進次郎が投票直前に「石破支持」を表明したのも、石破が地方票で相当安倍を追い詰めているという情報が流れたからではないか、といわれているようだ。

   これで来年の参議院選は安倍では戦えない。消費税アップも難しくなってきたと思う。ましてや憲法改正の発議などできはしないだろう。安倍の三期目は、始まったとたんレイムダックになってしまった。

   後味の悪い総裁選だった。石破派の斎藤健農水相が、安倍応援団の一人に「石破を応援するなら辞表を書いてやれ」と恫喝されたと明かし騒ぎになった。週刊文春は、恫喝したのは安倍親衛隊の誰なのかを今号で追いかけている。名前が挙がっているのは、林幹雄幹事長代理、茂木敏充経済再生相、下村博文元文科相、荻生田光一幹事長代行、西村康稔官房副長官などだという。当然ながら、一人も認めた人間はいないが、石破の善戦で、斎藤の口から名前が明かされるかもしれない。

   週刊文春は、菅官房長官が「進次郎は総裁選ではウチに来るよ」と自信を見せていたというが、真逆になり、菅の首がつながるかも微妙になってきた。安倍の考えていた、さらなる四選も視野に入れて、プーチン・ロシア大統領を目指すというシナリオも音を立てて崩れてしまった。

   これで、9月30日に投開票される「沖縄県知事選」で自公が推す佐喜眞淳候補が敗れることになれば、安倍政権は内部から崩壊すること必定である。週刊新潮は、自公にとっての悪夢が正夢になろうとしていると報じている。

   とにかく、佐喜眞陣営の選対関係者にいわせると、世論調査では8月末の段階で、玉城デニーに30ポイントの差をつけられていたというのである。自公が総力を挙げたため、現在は差を詰めているというが、それでもまだ8ポイントも差があるそうだ。

   それにツキもないようだ。告示後の初めての日曜日の16日(2018年9月)、小泉進次郎が沖縄入りして街頭演説をしたが、その日はちょうど安室奈美恵の引退コンサートの翌日で、引退記念の花火大会などがあった。安室ルックをした若者たちが闊歩し、進次郎が演説している左手の琉球新報社ビルの壁面スクリーンには安室の巨大な写真が飾られていたという。この日の地元紙の朝刊に、進次郎のアップの全面広告を打ったが、同じ紙面に安室の写真が12ページにわたって掲載されていた。

   安室は、翁長知事が亡くなった時、「ご遺志が受け継がれることを願っております」というコメントを発表している。翁長の弔い合戦を旗印にする玉城陣営にとっては、守り女神とでもいえる存在なのである。週刊新潮によれば、竹下亘総務会長が親族のDAIGOの仲介で安室に国民栄誉賞をちらつかせて、玉城を応援しないよう頼んだという噂まで飛んだという。

   総裁選で落ち目になっていることがハッキリした安倍政権が、沖縄知事選で負ければ一気に安倍降ろしに火が点く。何度もここに書いたが、沖縄から日本は変わる。それが現実になる日が来るのだ。

新潮社内からも批判「低劣な差別に加担するな」!『新潮45』今度はLGBTヘイト擁護記事

   これはもはや「新潮45事件」といっていいのではないか。杉田水脈衆院議員が新潮45(若杉良作編集兼発行者)8月号に寄せた「『LGBT』支援の度が過ぎる」の中で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いて、差別だ、危険な優生思想だという批判が巻き起こった。

   今月の新潮45(10月号)で編集部は、この批判は「見当はずれ」「主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのカケラもなかった」として、「特別企画 そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という反論特集を組んだ。

   平地に乱をおこし、騒ぎが大きくなってきたら、待ってましたと二の矢を放つ。炎上商法のイロハだが、杉田議員のあまりの暴論・差別発言に、真っ当な識者は執筆してくれなかったのだろう。巻頭が「新しい歴史教科書をつくる会副会長」の藤岡信勝氏、お次が文藝評論家・小川榮太郎氏である(ほかにもいるが、取り上げるに足りない)。どちらも産経新聞が発行している右派雑誌『正論』の常連執筆者で、杉田議員と同じ考えを持つ人物である。

   一読して驚いた。お粗末さでは杉田"論文"をも超える箇所が散見されるのである。それは小川氏の「LGBTという概念については私は詳細を知らないし、バカらしくて詳細など知るつもりもない」という一節を上げれば十分であろう。

   「公衆便所の落書き」(高橋源一郎氏のツイッターより)のようなものを掲載した新潮45に対して、前にもまして批判が起こり、私のところにもいくつかのメディアから取材の電話がかかってきた。だが、新潮社の内部からも批判の狼煙が上がったのである。

   「新潮社出版文芸」の公式アカウントで、ツイッター上に「連続RT抗議」として、「どうして低劣な差別に加担するのか」「ヘイト論文掲載について開き直り正当化」というつぶやきが次々に拡散し、いったん、どういう事情でか削除されたが、再開され、そこには新潮社の創業者・佐藤義亮の「良心に背く出版は、殺されてもせぬこと」という言葉も投稿された。

   「一雑誌とは言え、どうしてあんな低劣な差別に加担するのか、わからない」(平野啓一郎氏)

   「読者としても、執筆者の一人としても残念です。編集長の若杉さんには、直接その旨伝えましたが」(適菜収氏)

   2009年に週刊新潮が「実名告白手記 私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」という大誤報をしたことがあった。誤報と判明した後、よくわからない文章を掲載し、編集長は更迭されたが、世論の週刊誌への不信感は急激に高まっていった。

   このままでは週刊誌は消えていく。危機感を抱いた私は、上智大学で「週刊誌が死んでもいいのか」というシンポジウムを開いた。何百人も会場に入れない盛況だったが、今回の新潮45問題は、それに匹敵する雑誌全体の危機である。編集長を更迭したり、雑誌を休刊してすむ話ではない。

全米オープン優勝で始まった「大坂なおみファミリー新しい歴史」両親と祖父の和解

   大坂なおみが大フィーバーである。だが、あの天真爛漫な笑顔とは裏腹に、一家のファミリーストーリーは平たんではなかった。祖父の鉄夫さん(73)は、週刊新潮によると、今も北海道の根室に暮らし、漁協の組合長を務め、130坪の豪邸は「サケ御殿」といわれているそうだ。

   なおみの母親である環さんは、1990年ごろ、ニューヨークから来たハンサムな大学生と出会う。2人は両親に内緒で恋仲になるが、両親に見合いを勧められた時、自分には決めた人がいる、その人は外国人でなおかつ黒人だと打ちあけた。すると、父親は「一家の恥だと怒り狂った」(ニューヨーク・タイムズ8月23日付)

   母親と父親であるフランソワは大阪に移り住み、環は10年以上も実家の両親とは関わりを持たなかったという。鉄夫の兄は「ふたりは結婚式を挙げていないんじゃないかな」、根室漁協の組合員も「組合長から(環さん夫婦のことなど)プライベートな話は聞いたことがない」と話している。

   だが、先の兄が10年ぐらい前に、「今の時代、肌の色だとか、何人だとか、関係ないんじゃないかな」というと、鉄夫も「そうかな」と受け入れたそうである。以来、鉄夫は、大坂の試合を観戦に行くようになったという。今では娘・環の功績を認め、週刊新潮にこう語っている。

   「なおみが根室に来たらカニやサンマを食べてもらいたいな。ギンガレイの西京焼きもいいね」

   なおみの歴史は始まったばかりである。

浅利慶太さん、ありがとう。そしてさようなら

   9月18日(2018年)、午後1時から帝国ホテルで浅利慶太さんの偲ぶ会が行われた。花に覆われた祭壇には、浅利さんの笑顔の写真とハープが一つ飾られていた。献花の前に浅利さんの若いときから最近までの映像が流れた。語っているのは演劇論。実に楽しそうだ。私も何度かお邪魔した長野県安曇野の四季の稽古場も出てきた。

   ここで出された、お釜で炊いたばかりのご飯にジャコとミジンに切った下仁田ネギをふりかけ、醤油を一たらししたメシのうまかったこと、忘れられない。

   築地小劇場を創立した浅利鶴雄を父に、二代目市川左團次を大叔父にもつ。慶應大学時代に既成の劇壇に反旗を翻し、「四季」を創立する。今回、渡されたパンフに、当時、浅利が先輩劇壇へ向けて書いた「三下り半」が載っている。中で先輩たちをこう批判している。

   「僕らが偉大な成功を博した貴方がたの舞台に見るものは、尊敬と共に空虚さと不毛、つまり危機にさらされた演劇の姿なのです」

   そして、こういい切る。「上演される作品の価値は、それが持つ『詩情』や『面白味』や『幻想』の度合いによって決定されるのではなく、作家が生きた現実の生々しい実感の露呈のうちに求められなければなりません」

   若さゆえの気負いが先立っているようにも思えるが、若い頃の写真は、鋭利な刃物のような風貌である。さぞ、新劇の先輩たちからは顰蹙を買っただろうが、百万人の敵あるとても我行かんという気概に満ちていたのであろう。

   四季の人たちが『コーラスライン』の中の「愛した日々に悔いはない」という歌を合唱した。そこには「好きだからこそ命燃やし すべてを捧げ生きた日々に悔いはない」という言葉がある。悔いのない人生だったと、私も思う。

   浅利さん、ありがとう、さようなら。