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肩すかしで貴乃花の勝ち!世間は圧倒的に判官びいきだし、「第二の人生」の設計も明快

   今週の話題は貴乃花突然の引退宣言と新潮45の休刊だ。

   さすが貴乃花擁護を続けていた週刊文春は、事前に引退するかもしれないという情報を掴んでいたようである。引退発表が行われる前日、記者が貴乃花親方に「相撲協会を辞めるのか」と問いかけていたという。

   週刊文春によると、「平成の大横綱を退職に追い込んだのは、日本相撲協会による"搦め手"の凄まじい圧力だった」そうだ。きっかけは昨秋(2017年)に起きた日馬富士による貴ノ岩暴行事件。貴乃花は事件をめぐる相撲協会の対応に問題があったと、内閣府に是正を求める告発状を出した。

   だが、その直後に、弟子の貴公俊が付け人に暴行する事件を起こしたため、告発状を取り下げた。その経緯を報告した臨時年寄り総会で、協会を混乱させたとして怒号が飛び交い、2時間ものつるし上げがあったが、貴乃花は不始末を起こした弟子が相撲を続けられるよう、ひたすら頭を下げていたという。

   結果、階級最下層の平年寄りに降格になったが、協会はさらに、「告発状が事実無根であることを認めるよう、書面で迫った」そうである。さらに協会は、「七月の理事会で、全親方は角内にある五つの一門のうち、いずれかに必ず所属しなければならない」と決め、従わなければ、協会員の資格を失うとしたのである。

   6月に貴乃花は自分の部屋を自ら潰して無所属になっていたから、あからさまな貴乃花潰しといわれても仕方ないのではないか。貴乃花を受け入れてくれる一門探しは難渋した。有力視されたのが元日馬富士が在籍した伊勢ヶ濱一門だったが、白鵬を擁する宮城野親方の反対でまとまらなかったという。

   9月27日に開かれる理事会までに決まらなければ、廃業に追い込まれるかもしれない。週刊文春によると、この時点では引退は考えていなかったようだが、ある親方から「一門が受け入れる条件として、告発状が事実無根であると認めよ」(貴乃花)と迫られ、引退を決意したそうだ。

   今夏、稽古場で倒れたのも、心労からだったのであろう。協会側はそれを知って、元同門の阿武松親方に貴乃花を説得するよう指示したが、連絡がとれなかった。

   貴乃花の会見後、相撲協会側はそうした圧力をかけたことはない、告発状を事実無根とした理由などを報道各社に説明し、反論している。

   このガチンコ勝負、土俵際まで相撲協会が追い詰めたが、貴乃花の肩すかしにしてやられたというところだろうか。世論は圧倒的に「貴乃花が可哀想」だと判官びいきのようだ。

   貴乃花はこれからについて、週刊文春にこう語っている。「協会が全てではないと思っています。自分を育ててくれた相撲に恩返しするためにも、NPOか何かを立ち上げて、子供たちに相撲を教えながら生きていく人生もありかなと」

「新潮45」後継雑誌の創刊を望む!初心に戻って良質のノンフィクション発表の場を作ってほしい

   杉田水脈議員の暴論を掲載し、批判が巻き起こると、杉田と同じ考え方の書き手をそろえて、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と反論特集を組んだ新潮45だったが、新潮社内からも批判が出て、ついに休刊することが決まってしまった。

   ただ、十分な休刊の理由も述べずに"廃刊"したことに、<これでは言論機関の責任放棄と言われても、やむを得ないだろう>(朝日新聞9月27日付「社説」)と批判されている。

   先週書いたように、2009年に週刊新潮が「実名告白手記 私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」という大誤報をしたときと酷似したやり方である。この記事も編集長マターであった。編集部員の多くは週刊誌が出てから知った。結局、交代が決まっていた編集長を辞めさせただけで(取締役にはそのまま残った)、誤報がなぜ起きたのかの検証はなされなかった。

   新潮社という出版社は、考え方が保守的なだけではなく、編集部も外部から閉ざされていると私は思っている。一部の人間を除いて、外で飲み歩くことも、他の出版社の人間との交流も、講談社、小学館、文藝春秋と比べて少ない。編集者がそれではいけないなどというつもりはないが、こうした"事件"が起きた時も、外部へ丁寧に説明することもなく、雑誌だけを切り捨てて終わりにするのでは、言論機関としては情けない。

   ひとつ、佐藤隆信社長に提案したいことがある。貴社は森功氏や門田隆将氏など優秀なノンフィクション・ライターを輩出している。赤字雑誌を潰しただけで終わりではなく、それに代わる良質のノンフィクションを載せる月刊誌を創刊しませんか。新潮45も一時、そう謳っていたことがあるのだから、同じ赤字でも、世のため、ノンフィクションのためになり、落ちつつある貴社の信用を取り戻す切り札になると思う。

   そうでないと、雑誌全体への不信感は払しょくされず、多くのジャーナリズム系、論壇系雑誌は、さらに危機的状況を迎えることになると思う。

現役時代の栄光忘れられなかった近鉄・佐野慈紀!野茂英雄に大借金して続けた見栄張り暮らで破滅

   カネがからめば長年の友情もなくなるという見本のような話が、週刊文春と週刊新潮に載っている。

   元大リーガー野茂英雄(50)が、近鉄時代に親友だった佐野慈紀(50)に対して、貸したカネを返せと訴えていた民事訴訟の判決が、9月20日(2018年)に東京地裁で下された。「佐野は2565万5000円を野茂に支払え」というものだった。事のいきさつを週刊文春から見てみよう。

   近鉄時代1年先輩だった野茂は、佐野に対して「このままでは大成しない」と忠告し、佐野は野球に集中して活躍を始めたという。日本球界に敵の多かった野茂にとって、親友と呼べる数少ない人間だった。

   その後、野茂は大リーグへ行き、佐野も中継ぎ投手として初の1億円プレイヤーにまでなった。投げるとき、帽子をわざと落として髪の薄い頭を見せることでも人気が出て、バラエティ番組などでも引っ張りだこになったのだ。

   その佐野が引退直前に野茂から3000万円を借りている。契約書が取り交わされたが、10年後の期限までに佐野は434万5000円しか返していないのである。佐野は、引退後も野球評論家をやったりして、世田谷に家賃約30万円のマンションを借り、セレブな生活をしているように見せている。

   週刊文春に対して佐野は、収入が不安定だったが、困っている様子を周りに見せたくないという思いが強すぎて、家族の前でも見栄を張っていたと話す。野茂に対しては、ひたすら申し訳ないと謝り、「社会に貢献している野茂の名前を汚してしまった。反省と後悔しかありません」と語っている。

   どこかの調査で、アメリカの大リーガーの多くが、引退後に自己破産に追い込まれたり、困窮しているといわれるそうだ。引退しても、現役当時の生活を変えることができないためだという。佐野もその口であろう。なまじお笑い芸人のように一時的に売れてしまったため、引退後もなんとかなると考え違いしていたのだろう。

   これはサラリーマンにもよくある。現役時代、ハイヤーを乗り回し、会社のツケで豪遊していたことが、定年後も忘れられずに生活を縮小させることができず、借金地獄に陥るのだ。

大反響だった大丸梅田の「アダルトグッズ」ショップ!会社終わりの女子がピンクのバイブ購入

   大阪・梅田の大丸店が8月22日から9月4日まで、店内にアダルトグッズメーカーの「TENGA」のショップを開いて話題になった。こういうおもしろい話を週刊誌はもっと取り上げないかねえ。

   大丸側はなぜこういうものを置こうと考えたのか。話題にはなるがイメージを落とすとは考えなかったのか。こういうものも置いてくれと、顧客から要求があったのかなど、取材するべきものはたくさんあるはずだ。

   週刊ポストによると、この試みは大成功だったようだ。期間中に約1500人が来店し、売り上げは目標の6倍近い390万円を越えたという。なかでも、オナニーグッズ「iroha」のピンクが喜ばれたそうである。

   実際に、ショップで「iroha」製品を購入したバイブ女子たちが口々にこう語る。<「会社終わりに寄って、『iroha』限定カラーを買いました。初体験は17歳でしたが、20代後半までセックスでイクことができなかったんです。でも、オナニーの際にアダルトグッズを使うことで、"自分が気持ちいい場所"が明確にわかるようになり、それをパートナーに伝えることでセックスでもイケるようになりました。日本では女性が自分ですることは恥ずかしい行為だと捉えられがちですが、女性ももっと自分の快感ポイントを知るべきだと思います」(派遣事務・32)>

   <「これまでに別のオモチャを試したことがあったのですが、振動が強すぎて合わなかったんです。でも、『iroha』は振動も優しく、何よりお洒落。手放せなくて、彼氏とのセックスは物足りなくなっちゃうかも。今回はデパートの中で出店してくれたので、入りやすくてよかったです」(美容師・27)>

   アダルトグッズとの"交際遍歴"をあっけらかんと話す彼女たち。やはりこの季節は女性たちの性の関心を一段と高めるのだろう、と週刊ポストはいう。たしかに、デパートでアダルトグッズを買う女性がいるとはね。伊勢丹や高島屋もやったらいいのに。

「今日までの人生で、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」樹木希林やっぱり大したものだ・・・

   週刊現代がモノクログラビアで樹木希林をやっている。その中から樹木希林語録を。

   「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ(笑)」(文芸春秋14年5月)

   「一人の人間として、ひっそりと逝きたいのよ」(週刊現代15年6月6日号)「『いつかは死ぬ』じゃなくて『いつでも死ぬ』という感覚なんです」(朝日新聞の連載「人生の贈りもの」18年5月25日)

   「いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生で、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」(朝日新聞18年5月25日)

   「自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末すること、それが最終目標かしら」(文芸春秋14年5月号)

   「生きるというのは、いろんなところをくぐり抜けて、どう墓穴に入るかという道」(月刊エフ01年7月号)

   「老いてから別れるのはもったいないわよ」(産経新聞09年2月20日)

   こういうキャラクターは、これから出てこないだろうな。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか