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樹木希林さんが書き遺した筆談メモ 自殺する子どもたちと内田裕也への思い

   女優樹木希林さん(享年75)が亡くなって昨日15日(2018年10月)でちょうど1カ月。亡くなる前の病室で書き残したメモがあった。自殺をする若者への思いが綴られていた。また、最期の時、希林さんの心に去来した家族への愛も明らかになった。

夏休み明けに自殺しそうな子どもたちへの励まし

   寄り添っていたバースセラピストの志村季世恵さんが明かした。「8月に大腿骨を骨折して一時危篤状態になり、そのあと声が出なくなった。それで紙に書くことが多くなった」という。介護も筆談が多かったのだと。

   メモは、毎年夏休み明けの9月1日に自殺する子供が多いことを憂え、「どうかな今年は」とある。「そのメッセージは仲々届かないよ。あまりに勿体ない生命」「子供の頃から弱かった。大丈夫だよ!」などとある。8月26日、亡くなる3週間前だった。

   希林さんは、夫の内田裕也さん(78)のドキュメンタリー映画のナレーションをしていた。おととい(14日)京都映画祭での舞台挨拶で、内田さんは「一緒にスクリーンを見てくれて、嬉しかったです。ありがとう」と言った。フジテレビの「ザ・ノンフィクション 転がる魂内田裕也」は、夫婦最後の共演作となった。

   志村さんは、2004年に希林さんに乳がんが見つかった時から、心のケアをしてきて、内田さんへの思いを直接聞いていた。

   乳がんを公表する前に、電話で伝えた。「なんだそんなことで、バカヤロー」と言われるかと思ったら、内田さんが絶句した。「15秒くらい絶句したのよ。ああ、私はこの人に愛されていたんだと思った。それだけで、私はもういいって思った」と。

「裕也さんの元にいつかは帰りたい」

   内田さんは、希林さんの葬儀で、遺骨をハンカチに包んで、ポケットに入れた。希林さんは、自分の遺骨を内田さんがどうするかを気にしていたという。遺骨を持っている人もいる、と話した時、「どうするのかなぁ、裕也さんは」と言った。常々、「裕也さんの元にいつかは帰りたい」とも言っていた。

   志村さんは、「最後まで、心配をし続けてお世話をする。誰かのために行動する人だった」という。先の手書きのメモも、「子供達の将来 9/1日に自殺者増えるけど」とあった。「思いが届かない、届かないと涙をこぼされた」という。

   希林さんは2015年に山口で開かれた「登校拒否・不登校を考える全国合宿」で、「9月1日に『嫌だな』と思ったら、自殺するよりは、もうちょっと待って、世の中を見てて欲しいのよね。年をとれば必ず、がんとか脳卒中とか心臓とかで死ねるんだから、無理して死なないでいい」と熱く語っていた。

   死を前にした病床でも、若者の将来を心にかけていた。

小倉智昭キャスター「いい話を聞かせてもらいました」

   今回の取材は、也哉子さんの「母の思いをぜひ伝えてください」という後押しで志村さんが話してくれたものだった。

笠井信輔アナ「9月1日には、車椅子で、『死なないで、死なないで』とつぶやいていたそうです」