2019年 11月 20日 (水)

シリア拘束3年半に何が起こっていたのか?安田純平氏が話してないこと、日本政府が隠していること

印刷
スマモニの覆面調査のお仕事で高額謝礼を獲得!

十朱幸代「結婚寸前まで行ったのに、私に勇気がなかったから秀樹は去った」

   十朱幸代という女優が好きだ。若い頃、小坂一也という弱々しいカントリーソングを歌う歌手と同棲していたときは、なぜこんな奴とと嫉妬したものだった。

   週刊新潮によれば、75歳になった十朱が「愛し続ける私」(集英社)という自伝本を出したそうだ。そこには、先日亡くなった歌手の西城秀樹のことが、名前は伏せているが、かなり赤裸々に書いてあるそうだ。

   たとえば、こんな風に。<彼とは、結婚寸前まで行きました。私が結婚というものに一番近づいたのは、あのときだったように思います。そのころは仕事にも少し余裕が生まれていて、「今なら結婚という選択肢もあるのかもしれない」と思ったのです。実は婚約発表会見を1週間後に準備する、というところまで、行きました。

   それでも、ふたりの周囲には、反対する方がたくさんいました。自分の親、兄弟、彼のご家族の反対を前にしたら、私はそこから先に進めなくなってしまい。

   迷いを振り切っても結婚する、という覚悟が私にないと知って、彼は去って行ったのです>

   障害になったのは年の差だった。秀樹34歳、十朱46歳だった。秀樹の親は孫の顔を見たがった。それでも2人は、アメリカの西海岸へ逃避行し、10日間ほど水入らずの時間を過ごした。帰りは、マスコミが待ち構えているのに、秀樹は気にせず、堂々と出て来たという。

   私の思い出に残っているシーンがある。1990年、クイーンエリザベスⅡ世号が竹芝桟橋かどこかで停泊している時、1泊したことがあった。香港から秀樹がその船でディナーショーをやり、最後の夜も彼のショーがあったと記憶している。そこで、十朱の姿を見たと思う。2人の間は知られていたので、船内はかなりその噂で持ちきりだった。

   今回、十朱がここまで書いたのは、週刊新潮によると、秀樹が死んでも、家族がいるために自分のことはマスコミは触れなかった。そうしたことへの悔しさもあって、本を書き、テレビに出て、秀樹との思い出を語っているのではないかといわれているそうである。

   十朱も75か。少し前は早稲田に住んでいたらしい。時々姿を見かけたが、最近は見ない。一度会って、とっくり話をしてみたいものだ。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

今すぐ無料会員に登録して、コメントを書き込もう!
お知らせ

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中