2019年 6月 18日 (火)

戦争孤児(12万人もいた)たちの飢えと差別された記憶との壮絶な過去の告白。3年間にわたる渾身のドキュメントである
<BS1スペシャル 戦争孤児~埋もれてきた戦後史を追う~>(NHK BS1)

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   第2次世界大戦の終戦直後から、夥しい数(12万人)の戦争孤児たちが上野駅、小倉駅、広島駅、神戸駅などに着の身着のままで寝起きし、飢えに苦しみ「戦争こじき」と蔑まれ、浮浪児となって生活していた。彼らは70年以上も自分が戦争孤児だったことを周囲に漏らさずに生きてきた。この孤児たちを3年間探し求めて重い口を開かせた渾身のドキュメントである。
   三ノ宮駅で12歳の時、空襲で家を焼かれた母子家庭の母は栄養失調で死んだ。冷たくなってゆく母の手を握っていた今85歳の男性は、今でも三ノ宮駅には入れない。山形で空襲に遭い、弟妹を連れて上野に来た88歳の女性は、子供の死体を何人見たかわからないという。みんな土葬だった。大人は誰も気づいてくれなかった。
   今86歳のマッサージ師の男性は、福井で空襲に遭い用水桶の中で母親は死んだ。本人も栄養失調で両眼を失明、社会や大人たちを恨んで生きてきた。「本当に悲しい時には涙も出ない」と母の死にも泣かなかった。引き取られた先で「何で生まれてきたんだ」と言われ家出をした。大阪駅に辿り着いて2日間、水だけ飲んで生きた。
   当時の戦争孤児たちの生計手段は、51.5%が物乞いで、窃盗が8.2%、煙草拾い、闇屋手伝い、靴磨き、スリなどと続く。つまり、保護者もいないのでまともな生計は立てられなかったのだ。マッカーサーが浮浪児を見たくないと狩り込みが行われ、まるで罪人のように鉄格子のオリにいれられる施設もあった。総合で放送するべし。(放送2018年12月9日22時~)

(黄蘭)

採点:1.5

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