田村直之アナが「PTG」を取り上げた。聞き慣れないが、「Posttraumatic Growth」のことで、「トラウマ後成長」と呼ばれる。最新の研究で、病気や事故、災害、家族の死など、つらい出来事をバネに心が成長することがわかってきた。
田村アナ「困難の中から抜け出した人の体験を見ていくことで、つらい出来事をどうすれば乗り越えられるのか、そのヒントをお伝えします」
あす17日(2019年1月)で阪神・淡路大震災から24年がたつ。医師の水谷和郎さんは被災した経験を広く伝えるため、学校や病院を回って講演を続けている。
水谷さんは震度6を観測した淡路島の病院で救急患者の対応に当たった。病院で撮影された映像には、現場で指揮をとる医師が、心肺蘇生法をいつまでも続ける医師らに対し、「助けられる人を助けないかん。助からない人はあきらめないと。よし、やめなさい。ストップ」と声をかける様子が残されている。
普段の救急医療なら全力で処置に当たれるが、大勢の患者が同時に発生する災害時には、あきらめなければいけないことも多い。巨大災害で、多くの医療者がこの無念に直面した。
水谷さんはこうした体験を誰にも話せなかった。後悔の念が大きく、思い出すのが辛かったのだという。体験を伝えていこうと決めたきっかけは、2005年1月17日のある出来事だった。
いま勤務している病院で、涙を流しながら黙祷していた水谷さんに、隣にいた看護師が「先生、ここは頭と心臓の病院やから、地震があっても(けが人は)誰も来うへんわ」と言った。
水谷さんは「ちょっと待って、それは違うよ」と思った。「病院と名の付くところには、みんな何かあったら殺到するし、いくらこの病院が坂の上やからといって、人が来ないなんてことはありえない。被災地の中と周辺ではこんなに温度差があるんやというのをまざまざと感じた瞬間ですね」と話す。
水谷さんは病院のスタッフを集めて震災発生当日の映像を見せ、初めて自分の経験を語った。災害対策を頑張ろうと意識が変わったスタッフが多かったという。
以来、水谷さんは100回以上講演を行ってきた。当時を思い出すのは今も大きな心の負担になっているというが、強い使命感に突き動かされている。「東日本(大震災)が起き、熊本(地震)が起き、北海道(地震)が起き、やっぱり人が亡くなって、家が壊れてブルーシートを張って、避難所はぐちゃぐちゃで、23年前とまだ変わっていないかという思いがあるので、『ちょっと備えてくださいね』と伝える活動をするのが自分の役目なんかなと思います」と語った。