2024年 4月 17日 (水)

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貴乃花いまだ語れぬ「宮沢りえとの婚約解消」よほど深刻な何かがあったか・・・

   週刊文春の貴乃花の連載が、宮沢りえとの婚約と破局という最大の山場になった。今でもよく覚えている。私はフライデーの編集長だった。久米宏の「ニュースステーション」をなんとなく見ていた。月曜日だった。突然、久米が、貴花田と宮沢りえが婚約したといったのである。編集部員たちに「貴とりえが婚約したそうだ」と怒鳴った。部屋にいた何人かはテレビの前に集まり、何人かが取材先に電話をかけ始めた。

   11月場所終了後に婚約記者会見を開くと貴花田の父親が発表した。挙式は来年5月末。媒酌人は元巨人軍の王貞治。11月12日にホテルニューオータニ「鳳凰の間」で行われた会見は、平日の昼下がりにもかかわらず、視聴率合計で40%を超えたそうだ。貴花田はこの時、大関取りに挑む関脇だった。

   しかし、奇妙なことに、この年の暮れから2人の破局説が流れるのである。婚約会見からわずか61日しか経っていなかった。1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いが行われ、婚約解消が決定。

   その夜、宮沢りえ一人で記者会見を開いた。貴乃花は午後11時から藤島部屋で報道陣に、「自分の愛情がなくなりました」と答えた。記者からの「横綱を狙う者の品格としていかがなものか」という質問に、「無責任ですね。これから身につけたいと思います」と話すだけだった。

   このスピード婚約破棄の理由は何か。フライデーも取材に東奔西走したが、真相は「よくわからない」ままだった。週刊文春の連載でその一部でも明かされるかと期待したが、週刊文春も<破局に至る背景には様々な要素が積み重なっていたことだろう。ただひとつ言えるとすれば、純粋に惹かれ合った若い二人は、結婚というステップを前に、初めてそれぞれが背負っている宿命の大きさを突きつけられたのだ>

   何を今さらである。こんなわけのわからない解説を読みたくて週刊文春を買ったわけではない。

   貴乃花は相も変わらず煮え切らないいい方しかしていない。こうだ。<「それぞれが進むべき道が違い過ぎたわけですが、背負っているものはとても似ていました。ともに一家の柱になるべくして生まれてきて、十代からひたすらにその道を歩んできた。お互いがその喜びも孤独も理解できますし、似たような境遇に共鳴、共感したところがあります」>

   巷間いわれているのは、りえが結婚して芸能界を引退し、相撲部屋の女将さんになるのをりえママが許さなかった。貴乃花の父親も、結婚したら引退して部屋の女将さんになることが当然だと譲らなかったというものだ。

   貴乃花も、ここでこういっている。<「もし(宮沢が芸能界を引退して)職を捨てることになれば、その生き方ができなくなるわけです。お互い、親から生まれてきた身です。二人が名もない花だったら、それぞれの本意を大切にして、花を咲かせることができたのかもしれませんけどね......」>

   そんなことは付き合い始めてすぐにわかることだ。お互いの親も会っていて、話もしている。本当に好きなら、親を説得し、結婚するための努力を2人はするべきだったはずだ。今でもお互いが口に出せない、もっと深刻な要因があったのではないか。

   秋篠宮眞子と小室圭の2人には、貴乃花と宮沢りえのケースは参考になるはずだが、これについてはまた明日のこころだ。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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